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映画・演劇のレビュー

『おっぱいバレー』

2009-04-21 21:31:38 | 映画
 79年という時代背景は特別大事なものとは思えないが、丁寧にそこをスルーすることなく描いて見せようとした。そうすることで映画はたぶん2倍以上制作費がかさんだはずだ。だが、そこを現代に置き換えたりしたらこのお話自体が成立しない。そこを製作サイドは重視した。とても誠実だ。(でも、細部には現代そのままの部分もあるが)北九州市を舞台にしたことも、別にここでなくてはこのお話が成立しないというわけではないのだが、そこもいいかげんにはしなかった。原作の舞台を安易に置き換えたりしない。(でも、実は原作は浜松らしい)

 そんな頑固さがこの映画にとって大事な事だったのだ。安易に映画を作ろうとしない生真面目さが、この題材の真摯な姿勢ときちんと重なり合う。中学生の男の子たちが本気で先生のおっぱいを見たいと思う。そしてそのために必死になってバレーボールに打ち込んでいく姿はとても美しい。いいかげんな気持ちで私のおっぱいが見れるなんて思うなよ、という女先生の真剣な言葉が胸を打つ。冗談のようなお話が神聖なものになっていく瞬間が見事に描ききれてある。だからこの映画は素晴らしいのだ。ただのおふざけなんかではない。

 何かに精一杯挑んでいく。それがおっぱいであってもいい。そんな子供たちの姿をこんなにもきちんと描いた映画は近年なかったのではないか。タイトルとその内容の意外性、笑うしかないようなバカバカしい設定。しかし、ここに流れる一生懸命さは、きっと1979年という時代を見事に捉えているのではないか。あの頃、僕たちは今よりもっともっと純粋だった。ひとつの時代をノスタルジックに捉えよというのではない。ある時代のある出来事を等身大に描こうとするのだ。そこには誇張とか、感傷とかはない。ありのままの79年という「今」があるだけだ。

 この映画を見ながら、まだ何ものでもなかったあの頃の僕のことを思い出して恥ずかしい気分になった。ちょうど20歳だった。高校生の頃の自分を引きずりながら、大学に通いながらも、何をしたらいいのかまるでわからなくって毎日イライラしていた頃。それが79年という時代で、そんな頃の気分がここにも描かれてある気がした。劇中の中学生たちの気持ちも、新米教師である彼女の気持ちも、どちらもよくわかる。時代は、僕が教師になる2年前、僕が中学生だった頃の5年後。そして今から30年も前のことだ。

 半人前で中途半端。何をしたらいいのか、何が出来るのか、自信もなくて、毎日が不安だった。中3になって、初めて本気でバレーボールを始める男子バレー部の面々。先生のおっぱいが見たいという不純な動機からスタートして、でも初めて何かに本気で取り組むことに対して、正直な喜びを感じる。彼らは自分たちのために本気になってくれる若い先生がうれしい。

 20歳になったらもう大人だなんて、思わなかった。だが、もう子供でもない。1979年という時間の中で、僕がフラフラしていた同じ頃、この子たちも同じようにフラフラしながら生きていたんだ。みんなからバレー部ではなく『バカ部』と呼ばれ、バレーボールなんて一度もしたことがないバレー部員として。そんなふうに思うと、なんだかこの子たちがとても愛しく思える。そして、彼らと同じようにバカでしかないあの女先生もである。

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