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映画・演劇のレビュー

『シャンハイ 上海』

2011-07-31 22:19:10 | 映画
なんとも魅惑的な素材ではないか。しかも、これだけの豪華キャストがこの作品を形作る。それだけでこの夏一番の期待作(の、ひとつ)だった。でも、反対にあまりに当たり前の素材で、今時これでどう見せるのか、という危惧もあった。結果は後者が的中した。

これだけの困難な大作なのに、ポイントが絞り込めず、大味で時代錯誤のラブロマンスでしかない。いやラブロマンスが悪い、というのではない。要は見せ方なのだ。昔ながらのエキゾチックな東洋趣味のアメリカ映画、なんて、おかしいだろ、ということだ。21世紀になり、アメリカ人も東洋を身近に感じる現代、今更「東洋の魔都、上海」だなんて、アナクロで作品を括っていいのか。

1941年という時代を描きながら、現代に通じる危機感こそがこの作品の描くべき事なのだ。その時アメリカは、高みの見物でしかなかった戦争で、自分たちが当事者になる。水面化で生じていた問題が真珠湾攻撃で一気に面に出る。この映画は、その直前のざわめきを描くべきだった。

上海を覆い尽くす一触即発の状況下で、一人のアメリカ人(ジョン・キューザック)が、地元のギャング(チョウ・ユンファ)の妻である危険極まりない中国人女性(コン・リー)に心惹かれていく。だが、彼が彼女のために無謀な行為に出るのは愛からではない。単なる好奇心でしかない。彼はそこにある危機をまるで実感していない。これはアメリカの中国に対するほんのちょっとした好奇心が全面戦争へと突入させることの隠喩であろう。日本人将校(渡辺謙)から痛めつけられるにもかかわらず、彼はその中国人女性を救い出し、命からがら上海から脱出する。だが、その後、彼女は彼の元を去る。

図式としては通俗だが、そこがいいのだ。ここにある危機は充分現代に通じる。なのに、この映画はそこまでで終わる。描くべきものは、その先にあるのに、である。これだけの膨大なお金を投入して、ここまで見事な上海の町を作ったのに、もったいない。大体、菊池凛子はコン・リーと並ぶ存在だったはずなのに、あの扱いはない。あれで全体のバランスを欠いたのだ。まぁ、そこにこの映画が描く今の「アメリカ」の「日本」と「中国」に対するスタンスの違いがあるというのなら、納得がいくのだが。


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