習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『銀の鈴』

2009-06-29 23:08:32 | 映画
 作りたいものを作った。ただ、それだけだ。だが、それだけのことがこんなにも心地よい。全力で作り上げたことの充実感。よくぞ、ここまでやってくれたものだ。この映画を手掛けた齋藤勝監督は初めての映画に戸惑いながら、持てる力の全てを出し切って一世一代の賭けに出た。私財をなげうって、この映画を作った。自主制作の映画が手掛ける題材ではない。中途半端にしたなら、失笑しか生まない。腰を据えて本気で見せてもどれだけが可能か、不安がいっぱいだったはずだ。しかし、彼は成し遂げた。

 もちろん対馬丸をここに登場させるわけではない。まさか、沈んでいく場面をSFXを駆使して『タイタニック』ばりに見せるわけにもいかない。まぁ、たとえそれが可能であっても齋藤さんはそういう映画を作りたかったわけではない。だから、きっとしない。

 今まで何度も再演を繰り返してきた齋藤さんにとってはライフワークであるこの芝居を、実写として映画化した。(かって、対馬丸事件はアニメーション映画として1度作られている)

 念願を叶えるために払った犠牲は並大抵のものではなかろう。それはこの映画を見ると十二分に感じることが出来る。60年以上前の出来事である。だが、まだ生存者もいるし、映画として中途半端な見せ方は出来ない。ここには逃げ道はないのだ。

 彼から映画化の決意を聞いたとき、正直言うと、きっと不可能だ、と思った。途中で挫折すること必至だと思った。完成台本を読ませてもらったときも、これを映像化することは困難を極める、と思った。制作費の面でも、技術的にも、素人の手には余る。なのに、齋藤さんはそれを成し遂げた。

 完成版は83分。実に適切な長さだ。ディレクターズカットでは2時間半に及んだらしい。撮ったものはできたら使いたいというのが、人情だろうが、それでは意味がない。この題材を80分前後にまとめるという英断は、まず、この映画にとって何よりも大事なことだった。お話のポイントを絞りきり、対馬丸に込めた思いだけがしっかり残る、これはそんな映画でなくてはならない。対馬丸出航まで、そして沈没後の時間。それが等価に描かれなくてはならない。事件そのものを告発するのではない。ここではその悲劇は置いておき、この出来事に巻き込まれた沖縄の人々の、未来へ向けての想いこそが前面に描かれるべきなのだ。そこを齋藤さんはしっかりわかっているから、さわやかな後味を残す映画となったのだ。ぜひ、たくさんの人に見てもらいたい。

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