紆余曲折を経てようやく公開された山田洋次監督の最新作。89歳の監督による89本目の映画だ。山田監督は先日亡くなった僕の母と同い年である。関係ないけど。
松竹100周年記念映画だ。たしか松竹50周年映画も山田監督作品だった。『キネマの天地』だ。(でも、あれは86年作品だから今から35年前、ということは50周年ではないよな)どちらも撮影所が舞台になる。映画作りのお話だ。2部作のようになっている。いや、姉妹編というほうがいいか。映画への愛がテーマだ。山田監督にとって今回ほど困難な映画作りはなかったのではないか。『東京家族』の時も東日本大震災で中断を余儀なくされたことがあったが、今回はリアルタイムのコロナ渦での撮影、公開となる。中断のさなかで脚本を書き換え、コロナを取り込んだ映画にした。阪神淡路大震災の時も、寅さんのなかに取り込んだ。リアルタイムの現実を背景にしてアクチュアルな映画を目指す。
今回の映画は山田監督の青春時代が描かれる。1960年代、映画が斜陽産業になる以前の物語だ。(映画は60年代後半のはずなのだけど、50年代の雰囲気で描かれる)黄金時代を引きずっている。現代との対比で描かれる。2019年から2000年である。(9年前の2010年も描かれる淑子がテラシンと再会するエピソードだ。)2020年の50年前なら1970年になる。でも、1970年ではこのお話は成り立たない。映画を見ながらも、なんか、そこが気になって仕方ない。主人公のゴウが現在78歳だから映画に描かれる過去のシーンはどう見積もっても55年前くらいになる。ということは65年だ。でも、清水宏や小津安二郎をモデルにしたモノクロ映画は50年代の雰囲気だ。いいのか、これで。
気になることはまだまだあるけど、純粋にこの映画を楽しもう。山田監督の込めた想いを想像する。主人公のゴウは明らかにあり得たかもしれないもうひとりの自分を投影している。才能がありながらも、挫折して映画界を去った誰か、だ。80歳を目前に控え(というか、死を目前にして)自分の人生を振り返る。酒とギャンブルに溺れ挫折したまま死を迎える。だが、人生の最後にもう一度、やり直せたなら。そんな想いが描かれる。お話はあまりに甘すぎて、おとぎ話でしかない。シビアな現実を描いているように見せかけて、中途半端にメルヘン仕立て。なんか乗れない映画になった。完全に夢物語にしてもらえたなら、もう少し気持ちよく見られたかもしれない。
過去のパートは青春群像劇の雰囲気で悪くないけど、現在のシーンがなんだか嘘くさくて見ていてつらい。原田マハによる原作小説とはまるで異なる映画になっている。この映画を下敷きにした同じく原田マハによるノベライズ(これはあまりに惨い小説で頭を抱えた)ともまるで違う映画になっている。
城戸賞受賞という結末はいいけど、一度は映画化決定して撮影初日にまでこぎつけた50年以上前の脚本のリメイクで受賞というのはいただけない。しかも『カイロの紫のバラ』のネタを新鮮だと受け止められるというのも嘘くさい。お話の根幹をなす部分がリアルじゃないから、素直に感動できない。気持ちはわかるのだけど、気持ちはよくない。