習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『湖のほとりで』

2009-08-19 22:22:28 | 映画
 こんなにも地味で何の宣伝もされてない映画がなぜか大ヒットしていた。まぁ、テアトル梅田での単館公開だし、1日3回くらいしか上映してないから、これをヒットとは言わないのかもしれないが、僕が見た回は平日なのに、老人を中心にして満席だったので驚いた。

 老人2人が湖のほとりでたたずむポスターにそそられたのだろうか。少なくとも僕はあのポスターを見て内容も知らないで見たいと思った。だから、それだけで見たいと思う老人が続出したのも分かる。(今日の満員の理由を勝手にそう決めつけている)

 殺人事件にまつわる話だなんて、思いもしなかった。最初見ていて驚く。しかも、出てくる刑事たちがいくら考えても、「あんた退職した後の再就職ですか?」って感じで、そんな彼らがのんびり捜査を続けるから、なんだか緊張感がない。

 田舎の村で、湖のほとりに眠るようにして倒れる裸の美しい死体が見つかる。このドラマはそこから始まる。オープニングの少女失踪事件から、この本題までが続く。なぜ彼女は殺されたのか。誰が彼女を殺したのか。実にうまい導入だ。最初の少女の失踪も殺された若い女も、そして、このドラマに関わる様々な人たちのお話もすべてどこかでつながっている。巧みな構成で、ただの事件を描くのではなく、それぞれの人の中にある秘密が描かれる。

 だが、これはそれを暴くとかではない。だいたい暴露ものなんかではないのだ。事件の謎解きですらない。どうしようもない現実を前にして戸惑い、ある種の選択をする人たちの苦悩がテーマだ。すべての謎が解き明かされた時、主人公の初老の刑事は自分の現実もまた受け入れる覚悟をする。記憶をなくしていく妻が自分を忘れて病院で出会った男と恋に陥るのを娘とともに受け入れる。彼女の幸せを優先する。

 だれかのために何かをする。なんだかおこがましい話だ。精一杯人のために尽くす行為は美しい。だが、それは一歩間違えば傲慢の謗りを受けることでもあるからだ。人の命を奪う行為なんて褒められたものではない。だが、ギリギリでの選択を頭ごなしに否定はできない。もちろん肯定する気はさらさらないが。

 この地味なイタリア映画がなぜか日本で公開される。そして、それなりにヒットする。それってなんだか健全なことだ。

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