このタイトルに心魅かれた。しかも、ハガキ(今回の公演ではチラシは作れていないからこのポストカードがチラシの代わりになり、ばら撒かれた)に書かれた文章にも。この芝居に関する情報はその一文だけだ。内容に触れているわけではないけど、娼婦、姉弟(ここでは「きょうだい」とひらがな表記)という本編のキーワードもちゃんと、ここには提示されてある。
美しいと醜いは表裏一体の関係にある。それは心の問題だ。「毒の味は蜜の味」というコピーも意味深だ。でも、そこに「だれか」という3文字が入った時、とたんに、世界はなんだか淡くなる。その淡さに心魅かれた。「だれかのおとうと」という曖昧な優しさが、風俗の世界と連動して、どんなふうに描かれるのか、期待した。
だが、芝居自体は僕の思惑とまるで違って、なんだか思いもしないものだった。勝手な期待はしない方がいい。何も考えずに見たならもっと、違う感想になるかもしれないが、少し期待外れで肩すかしの1作だった。(岩橋さん、それにオリゴのみなさん、ごめんなさい。)
風俗嬢を扱い、ストレートに「売春」と、言う。でも、ヤクザがらみではなく、女の子たちが自分たちで共同して、商売をしているみたい。からだを売ることで、短時間で、たくさんのお金を効率よく稼ぐ。ビジネスとしての売春。なんだか、これはちょっとしたメルヘンかも、と思うけど、扱う題材が題材だけになんだか生々しい。でも、そこはオリゴである。そんなあからさまでもリアルでもない。さらには、そこに、行方不明になっていた姉と、その姉を探す弟のお話が絡んでくる。企画自体は悪くはないし、これを上手く作れば、面白いものになるかもしれない。しかし、なんだか中途半端でよくない。
メルヘンにはまるでならないし、リアルというにはあまりに嘘くさい。岩橋さんのよさがまるで出ていない。このお話はもっと不思議なテイストにならなくては成立しないのではないか。どこともしれない街のかたすみに男はやってきて、そこで姉さんと再会する。彼がなぜ、ここに来たのか。ここは現実の場所なのか? そこで、姉のシビアな現実と向き合い、傷つき、去っていく。はたして、彼女は彼が夢見た失われた姉だったのか?
そんな感じではないか? でも、ごめんなさい、それは僕がこのタイトルから夢想したものであって、この芝居ではない。