よくもまぁ、こんな無茶苦茶な映画を作ったものだ。松居大悟監督は前作『私たちのハァハァ』でも大胆な作り方をしていたけど、今回も果敢に観客の神経を逆なでにするような作劇を施す。まず何よりもこの編集は狡すぎる。タイミングを外してわざと混乱させる。時制の不一致を誘発するような、混乱を故意に招くような、そんな編集だ。アズミハルコの失踪以前と以後をごっちゃにして見せていく。だからアズミハルコは最後まで行方不明にはならない。別にそれでも構わないけど、もう一人の主人公である高畑充希演じるバカ女と彼女が出会うなんていうのも酷い。失踪しているのだから、いないはずの彼女とすれ違うはずもない。そこに意味を持たせたいのなら、そこまでの同時進行の混乱は避ける方がいい。でも、お構いなしだ。もちろん、それもわかってやっているのだろう。夜の出会いは幻を見たのだろうが、あのラストシーンはなんだ?
2つの時間が混在していることが、この映画にとっては大事なのだ。アズミハルコはここにいたときからここにはいなかったのと同然だった。では、彼女の生きている意味って何なのか。行方不明になった後、彼女は死んでしまったのか。それでも、構わない。生きていても死んでいても同じことだ。死んでるように生きていたのだから。だけど、じゃぁ、彼女の存在って何?
この映画のテーマはそこに尽きる。男狩りをする女子高生。何の罪もない男たちに無作為に暴行を加える。彼女たちの怨念のような想いが映画の基調低音を成すのだが、あまりに大胆すぎて映画全体になじまない。でも、そんなことにもお構いなしである。町中に貼られるハルコポスターのグラフィティアートは彼女の不在を決定付けるのではなく、彼女の存在すら曖昧にする。アズミハルコという記号を空白にしたまま、知らないうちに彼女は消えていき、でも、彼女は透明人間になって今もここにいる。そんな不条理を映画は見せて幕を閉じる。蒼井優は安曇春子をちゃんとアズミハルコとして演じる。相変わらず凄い役者だ。この映画で2016年の主演女優賞を取っていてもよかった。僕は昨年主演女優賞を取った『彼女がその名を知らない鳥たち』よりこちらを買う。