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映画・演劇のレビュー

追手門高『唇に聴いてみる』

2013-08-03 08:08:04 | 演劇
 これはとても好きだった芝居だ。南河内万歳一座の初期作品である。同時に彼らの代表作のひとつでもある。あの頃の時代の気分が濃厚に出ている作品だ。今まで何度となくいろんな劇団の上演するこの作品を見た。もちろん最初は本家の南河内万歳一座の上演で。再演も含めて3度は見ている。高校演劇でも見ているし、最近では浪花グランドロマンもこの作品に挑戦していた。

 初めて万歳のこの芝居を見た時、あんなに泣けた。「勝ちたかったね」に泣いたのだ。小学校の運動会。秋空の中、必死になって走った。あの日の記憶が胸に焼き付いて離れない、これはそんな少年の話だ。今ではもう遠い日の思い出でしかない。ほんとうに短い時間。転校してきた彼女と共に過ごした。でも、彼女は秋風と共に去って行った。

 この運動会のシーンをどれだけ鮮やかに描けるかが、この作品の成否を握る。感傷的になってもいい。あの日の記憶は永遠なのだから。今回の追手門高の演劇部はとてもよくやっている。この作品の持つセンチメンタルをきちんと形にした。それは確かな技術に裏打ちされたものだ。

 だが、見ていてその感傷にのめりこめない僕がいることに気付く。だからそれはこの作品の出来のせいではない。それは今の僕のせいなのかもしれない。20数年前には、あんなに感動的だったものが、今では、うそくさいものになる。団地はもう時代の先端ではない。団地自身がもう時代から取り残されていく。本当ならそんな時代にこそこの芝居は普遍性を持つはずなのに、なぜこんなにもしらじらしいのだろうか。

 追手門高演劇部としても、これは20年以上の歳月を経ての再演となる。今の若い子たちにこの作品は意味を持つのか、と言われたら、少しひるむ。傑作であることは疑いようもない。だが、色褪せて来つつあることも事実なのだ。この作品を信じきれなくては、この芝居のテイストを表現できない。だが、それって結構難しい話だ。熱演は空回りしない。だは、あの熱さはそれだけでは表現しきれない。今の時代には今の表現があるはずだ。これがウェルメイドであることは認める。だが、その先がここには見えないのが、もどかしい。



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