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映画・演劇のレビュー

『ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛』

2009-02-01 19:38:17 | 映画
 昨年5月。鳴り物入りで公開された超大作である。だがロードショーで見ることが躊躇われた。僕は時代を牽引するような大作映画は必ず見る主義だ。別に義務感からではない。単純に見たいから見る。それだけである。僕は基本的にミーハ-なのだ。特に映画に関しては。なのにこの映画だけは見たいとは思えなかった。今回その謎に迫るため、レンタルしてきた。

 映画は時代を映す鏡だ。どんな映画にもその時代の空気が封じ込められている。現代劇でなくても、である。100億円規模の大作は作家主義だけでは作れない。(昔マイケル・チミノは『天国の門』でそれをやったが)時代のニーズを敏感に感じ取り反映させる。それによってたくさんの人たちを劇場に呼んでこなくてはならないという義務がある。作品的な失敗はあるだろう。だが興行的な失敗は許されない。そんな大作映画の覚悟を目撃するのは楽しい。

 だが、なんだかこの映画にはそんな覚悟が感じられなかった。なぜそう思ったのだろうか。不思議だ。結局公開は終わり、DVDも発売され、それでもなかなか見る気がしないまま時は経つ。ようやく、借りてきた。

 嫌な予感は見事に的中した。この大作はつまらない。それも並のつまらなさではない。あんなにもお客が入らなかったのは、観客の嗅覚が冴えていたのか。それとも僕と同じように嫌な予感を感じたか。『ハリーポッター』から『ロード・オブ・ザ・リング』まで、こういうファンタジーが一世を風靡した時代はもう終わった。SFXの進歩はなんでも可能にしたが、その結果もう何を見ても誰も驚かない時代がやってきた。もうそれだけでは興味をひかない。飽きられたのだ。

 誰も見たことがない世界なんてない。もう何を見ても感動はない。では、今、何が必要なのか。この映画には、その答えは言えない。この映画が提示したのは、もう誰も見たくもないような手垢が付いた世界だ。ありきたりでお粗末なハリボテのファンタジー。夢はもう終わった。そうである以上、今回のこの映画からディズニーが撤退したのも頷ける。あれだけ大ヒットした前作を見た観客たちもそっぽを向いた。さもありなんだ。

 映画自体もテンポが悪くて、せっかく見に来た観客すら退屈させる。2時間20分に及ぶ長さは無用だ。この映画にはなんら冒険がない。この映画だからこそ描けれる、というものがない。それでは意味がない。

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