原作となったアニメ映画をそのまま実写化する意味って、どこにあるのか。これは実写ですればいいようなことをあえてアニメでした映画だった。でも、それが結果的に、アニメならではのストーリー展開をする映画になっていた。だからこれはそのままでは実写映画として成り立たない。そんなことは重々承知の上で、それでもこれをする意味、それが知りたいと思い見たのだが、結果は実に残念だった。
アニメでなら見ていられることも、リアルな生身で演じられると、反対にリアルじゃなくなる。フィクションだからこそ、成り立つものもある。アニメならではの表現で成功したオリジナルを越えるための実写には何が必要なのか。この映画を見終えてもよくわからない。
この映画は最初から躓いた。子どもの頃の無邪気な一言が両親を離婚へと導くプロローグ部分のあまりのヘボさに倒れそうになった。こういう繊細な心理を描く部分は、絶対に手を抜いてはならない。その後の全てが嘘になってしまうからだ。あれではただの思いつきのエピソードにしか思えないし、父親役の人のあまりに惨い演技に驚く。あんな下手な芝居をさせて平気なのか。子役もよくない。入り口で躓いた以上、もう取り戻せない。
本編に入っても、彼女がしゃべれないまま、高校3年になり、今何を考えて生きているのか、という大切な部分が嘘くさくなる。芳根京子は頑張っているけど、しゃべれないという痛みまでは伝わらない。基本的にスカスカのゆる~いお話なのだが、それをなんとか成立させているのは、タイトルである心が叫びたがっている、という想いである。必死になって、想いをことばにしようとする。ミュージカルを通して切なる想いを届けたい。彼女のそんな願いはクラス中に伝わり、みんなを動かしていく。まぁ、そんな感じのメルヘンなのだが、そんなメルヘンを信じたいと思わせることが出来たなら、この映画は成功する。しかし、実写でするためにはアニメ以上に繊細な見せ方が必要だ。残念ながらこの監督にはその覚悟がない。アニメのまま、同じお話で終わらせる。嘘くさい。