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映画・演劇のレビュー

『四川のうた』

2010-05-06 22:37:24 | 映画
 『世界』『長江哀歌』のジャ・ジャンクー監督最新作である。この作品は昨年の四月に劇場公開された。本当ならその時にすぐ見るべきだったのだが、例によって簡単に公開が終了し、見ることは叶わなかった。待つこと1年、ようやくDVDになり、ついに対面となる。

 四川省・成都にある巨大国営工場が閉鎖される。閉鎖直前の風景が描かれる。ここで働く人たち、その家族。たくさんの人々の想いを秘めて取り壊されていく。そして、閉鎖後ここは巨大ショッピングセンターと化す。

 映画はここで働いてきた労働者たちの姿を通して、現代中国の半世紀を振り返る。そういう意味ではこれは壮大な叙事詩でもある。当然、前作である『長江哀歌』の流れを汲む作品なのだが、残念だが、これはもう既に前作でやってきたことだ。それを繰り返すだけでは作家としての進歩はない。

 実際の工場の風景や労働者たちへのインタビューといったドキュメンタリー部分と、架空の労働者を俳優たちが演じるフィクション部分を融合させたセミドキュメンタリー形式で構成するのだが、それもなんだか、中途半端だ。

 ここまでするのなら、完全なフィクションとしてドラマ仕立てで作る方がより正確に作者の意図は伝わったはずだ。フィクションパートではジョアン・チェンやチャオ・タオらが出演するが、このドキュメンタリータッチが嘘くさい。彼女たちがインタビューに答えるというスタイルで、構成されてあるのだがなんだかとても安直に見える。ジャ・ジャンクーはスタイリッシュに全体を構成するが、そこには大事なものがすっぽり抜け落ちている。

 ここで暮らし、生きた人たちの哀感はただの証言からでは(しかも、役者が演じる)伝わらない。せめてドキュメンタリーとして統一するだけの勇気が欲しかった。徹底的な取材から、真実の姿をあぶりだすことで見えてくるもの、それが描かれないことにはただの頭で作った映画にしかならない。これがあの衝撃の大傑作『世界』を作った監督の作品なのか、と思うと、なんだか情けなくなる。

 この題材をもとにしてドラマとして再構築するくらいのことは、彼なら充分可能なはずだ。なのになぜこんな手法をとったのか。事実は虚構を凌ぐとでも思ったのなら、完全ドキュメンタリーで作らなくてはなるまい。そうではなく、虚構の力を見せつけるのなら、従来通りの作劇でよかったはずだ。

 少し酷かもしれないが、作者の発想の貧困さがこの映画をダメにした、としか言いようがない。スチールの多用も思いつきの域を出ない。とても美しい映画であることは認める。静かな映像の持つ力も感じる。登場する人たちの顔、たたずまい、そのひとつひとつが実に見事な絵になっている。だが、そんなことではだまされない。この映画には魂を揺さぶるような感動はない。

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