こんなにもバカな映画を平気で作ってしまう。山口雄大という大バカかんとくを尊敬する。ここまで果てしもなくくだらないことに、これだけの情熱を注ぎ込んで1本の映画を作ろうとする人は彼以外、日本広しといえども、誰一人おるまい。『地獄甲子園』を見たときあきれてものも言えなかったが、今回はあの再来では済まない。
あの鈴木則文(知らない人はぜひ彼のバカ映画に数々を見てもらいたい。まずは『伊賀のカバ丸』くらいから)でもここまではしない。しかも、彼は子供(というか、幼児)のように、同じことを何度も繰り返しひとり喜ぶ。バカもほどほどにして欲しいが、本人は底抜けにバカなので、バカにつける薬はない。
このバカにお金を与えてこのバカ映画を作らせたTV東京と東映の皆さんは凄い。バカを乗せたらどこまでもバカをエスカレートする。バカは際限がない。初めてメジャー映画を作り調子にのってしまった。だから、予算の許す限り果てなくバカを見せる。この映画がどこまでバカなのかをひとつずつ説明するのはバカげているからそんなことは一切しない。バカは見ればわかるからだ。バカを見たい人はこの映画を自分の目で確めるがいい。バカの100乗を体験できること請け合いだ。映画は端から端までバカばかりだった。しかも、客席までバカばかりだった。バカがバカを呼ぶというのは本当だった。
東映のヤクザ映画のパロディーが楽しい。実録路線の『狂犬3兄弟』シリーズ劇でが見れる。小沢兄弟が高校生を演じる。昔話を語るシーンでのこのヤクザ映画が笑える。主人公、三郎の上の2人の兄が小沢仁志、和義なのだ。こいつらがちゃんと狂犬してる。
だいたいキャスト全員がバカそのものと化してこのバカ映画に全身全霊で貢献している。ここまで自分を棄てて映画に貢献するなんてカンドーだ。骨の髄までバカである。1時間50分。ずっとバカ。竹内力なんていつも以上に目を剥いて野生に戻って熱演する。救いようがない映画だ。特殊メイクとCGで顔を変形させるというくだらなギャグにもならないことを何十回も繰り返す。あきれてものも言えない。手の施しようもない徹底したバカは潔い。よくぞここまでやってくれた。あっぱれだ。
あの鈴木則文(知らない人はぜひ彼のバカ映画に数々を見てもらいたい。まずは『伊賀のカバ丸』くらいから)でもここまではしない。しかも、彼は子供(というか、幼児)のように、同じことを何度も繰り返しひとり喜ぶ。バカもほどほどにして欲しいが、本人は底抜けにバカなので、バカにつける薬はない。
このバカにお金を与えてこのバカ映画を作らせたTV東京と東映の皆さんは凄い。バカを乗せたらどこまでもバカをエスカレートする。バカは際限がない。初めてメジャー映画を作り調子にのってしまった。だから、予算の許す限り果てなくバカを見せる。この映画がどこまでバカなのかをひとつずつ説明するのはバカげているからそんなことは一切しない。バカは見ればわかるからだ。バカを見たい人はこの映画を自分の目で確めるがいい。バカの100乗を体験できること請け合いだ。映画は端から端までバカばかりだった。しかも、客席までバカばかりだった。バカがバカを呼ぶというのは本当だった。
東映のヤクザ映画のパロディーが楽しい。実録路線の『狂犬3兄弟』シリーズ劇でが見れる。小沢兄弟が高校生を演じる。昔話を語るシーンでのこのヤクザ映画が笑える。主人公、三郎の上の2人の兄が小沢仁志、和義なのだ。こいつらがちゃんと狂犬してる。
だいたいキャスト全員がバカそのものと化してこのバカ映画に全身全霊で貢献している。ここまで自分を棄てて映画に貢献するなんてカンドーだ。骨の髄までバカである。1時間50分。ずっとバカ。竹内力なんていつも以上に目を剥いて野生に戻って熱演する。救いようがない映画だ。特殊メイクとCGで顔を変形させるというくだらなギャグにもならないことを何十回も繰り返す。あきれてものも言えない。手の施しようもない徹底したバカは潔い。よくぞここまでやってくれた。あっぱれだ。