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映画・演劇のレビュー

青年劇場『修学旅行』

2011-07-16 21:02:49 | 演劇
 かつて弘前劇場にも所属し、現在は渡辺源四郎商店を主宰する畑澤聖吾の台本によるこの作品は、学校団体のための公演であるにも関わらずとてもよく出来ている。1000人以上のキャパシティーの大劇場で上演してもまるで遜色ない「小劇場」演劇である。これはなかなか出来そうで出来ないことだ。100から200くらいのキャパの劇場でこそ力を発揮するタイプの芝居を大劇場でそのままやって、しっかり観客の胸に届く繊細な作品として、提示するって、凄くないか。

 僕は最後尾の座席で自分のクラスの子供たちと一緒に見たのだが、この魅力的な芝居を充分に堪能できた。うちの子供たちも居眠りもせず集中して110分間、最後まで見ていた。

 この作品が素晴らしいのは、今時の高校生が修学旅行で枕投げをする、というアナクロな行為をここまで感動的に描けたことにある。もちろん戦争問題、基地問題と沖縄を巡る様々なテーマはちりばめられてある。だが、これはそれだけを伝える平和学習ではない。今時の高校生をちゃんと描き、共感できるドラマをさりげなく見せ、彼らの思いを枕投げに集約する。あのクライマックスの奇跡こそがこの作品の成功の理由だ。

 青森の高校生が修学旅行で沖縄にやってくる。そこでお決まりの平和学習を通して戦争について考える、という学校側の思惑通りのことを描くための芝居ではない。もちろん当然のことだが生徒に媚びた芝居でもない。リアルな高校生活を描いたところで、この芝居を見る子供たちに何らアピールするものはないことは現役の高校教師でもある作者の畑澤さん自身がよく知っている。彼女たちの恋バナが描かれる修学旅行3日目の夜、自由時間から消灯時間までが描かれる。ドタバタをコミカルに描くのではなく等身大に描く。しかし、そこに描かれるものは、重くも軽くもない。

 女の子たちの5人部屋がこの芝居の舞台だ。そこに出入りするクラスメートたちや、先生たちとのやりとりが描かれていく。特別なことは何もない。それどころか、これはよくあるありきたりとも言えるスケッチだ。だが、旅先での昂揚した気分はしっかり伝わってくる。それを殊更強調して見せたりはしない。なのに、おもしろい。沖縄の置かれた状況は戦時中のことも、現在の基地問題もしっかりと絡めて、背景として描かれる。ここには無理矢理な押しつけはない。自然に彼女たちがここに来たことで、その事実を見て、触れて、感じ、考える。

 大切なのは、誰かから教えられたことではない。自分で見て、感じたことなのだ。それを自分で消化していくことだ。好きな男の子の話。友だちとの関係。そういった日常の延長が、ここで日本と世界の関係や問題と等価に語られていくことなのだ。今時はしゃいで枕投げなんかする人はいないだろう。しかし、このラストで彼女たちは自分たちの気持ちを相手にぶつけるため本気で枕を投げる。あのシーンで終わればこの芝居は傑作になっただろう。だが、さすがにそれは不可能だから、その後のエピローグを用意する。まぁ、常識だろう。でなくては、学校団体での鑑賞のための演劇としては不適切なものとなるだろうから。だが、出来ることならあのシーンで終わってもらいたかった。さまざまなことがそこには込められる。それ以上の説明はいらないはずだ。




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