習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

Fling Fish Sausage Club『 ジオラマサイズの断末魔』

2013-11-16 20:32:44 | 演劇
 4話からなるオムニバス。上演時間は全部で60分ほど、という小振りな作品としてコンパクトにまとめられてある。舞台美術は四隅に配されたそれぞれのエピソードを象徴する4つのジオラマと、中央のドーナツ状のオブジェ。シンプルだがとても美しい空間で、10分から20分程度の短いエピソードが綴られていく。いずれも、2人から3人による会話劇。そして、タイトルにあるように彼らの断末魔の叫びがそこからは聞こえる。

 とても静かな芝居ばかりだが、いずれのエピソードでも、彼(女)らの今あるとんでもない状況が提示される。だが、そこで彼らは暴れたりしないし、とても穏やかなのだ。だからといって、別に諦めているわけでもない。どちらかというと、ちゃんとジタバタしている。ジタバタをちゃんとする、という言い方は語弊があるだろうが、まさにそんな感じに見えるのだ。そんな、なんとも不思議なリアクションがいい。芝居が理に落ちないのだ。でも、わざとそういう意地悪な作り方をしているわけではない。とても、当たり前のようにこうなる。それはきっと、演出の森本洋史さんの個性なのだろう。台本の松永恭昭さんの世界をとても的確に表現できている。松永さん自身が演出した場合、どうしても、説明的になる。それは解らせようとする親切心が前面に出てしまうからだろう。でも、森本さんにはそういうところはない。長編なら、こういうスタンスは時に独りよがりになったり、ついていけない気分にさせられたりする原因になるのだが、短編の場合はそうなる前に終わるから大丈夫。

 井戸の底に落ちた孤独な女と、コドクと呼ばれる虫が交わす会話の絶対的な距離感。ここにあるのは理屈ではない。この気分がギリギリで確かに伝わる。きっとこれは20分ほどの作品なのだが、(これが今回一番長い、たぶん)その中で限界地点にまで彼らの会話は引き延ばされる。

 2話目の鬼と石を積む女の話も、そうだ。エピソードを追うごとに、だんだん、話は日常的なものとなる。3話は月に行った恋人と、彼女を迎えに行こうとする男の話。でも、たった1年で彼女が帰ってくる。遠く離れた月に行くため彼は必死になっていたのに、彼が知らない間に世界は進化していて月旅行なんか簡単に行ける時代になっていた。さらには、4話は、東北の震災(でもそれは3・11ではない、みたいだ。これはたぶん近未来の話)による募金活動をしていた青年が、その帰りに風俗に行く話。募金で得た金を使い、女を買う。

 この連作は、シュールな展開から、徐々にリアルな話へと移行していくのだが、でも、全体の印象はそういうふうには見えない。どの話も地に足の着いていないなんだかフワフワした印象を与える。夢のような心地よさがある。たった1時間という長さ(短さ)も、影響しているのだろう。

 とても、面白かった。なんだか、よくわからないけど、そのわけのわからなさが、いい。夢の話のようだ。夢ってなんかいつもそういうものだから。だから、これはそういう気分を見事に掬い上げていると言えるだろう。矛盾するものが、同時にそこにある。なのに、それがとても、安心感を与える。断末魔の心地よさなのだろう。しかも、それがジオラマサイズだし。看板に偽りなしの作品集だった。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ルームメイト』 | トップ | 島本理生『よだかの片想い』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。