習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

劇団往来『虫』

2007-11-26 23:26:54 | 演劇
 どうして今から50年以上前の台本を再び取り上げようとしたのだろうか。この本を通して何を見せたかったのかが、今一歩伝わらない。

 藤本義一のこの戯曲はとても現代の演劇としては成立しないもので、内容もそうだが、何よりまず、科白が説明的で、ためがありすぎて、しつこい。もっとさらりと見せなくては胃にもたれる。もちろん50年前ならこのくらいにこってりとした味付けでなくては観客が納得しなかったのかも知れないが、今見せるのなら、もう少し改稿が必要ではないか。

 ここまでくどくしなくても観客は充分理解してくれるはずだ。ただ、ここに来ている中高年の観客にとっては、もしかしたらこのくらいのくどさがピンと来るのかもしれない。「大阪新劇フェスティバル」というニーズに応じるためにはこれでよかったのだろうか。

 それなら、ただ僕の趣味嗜好には合わない、というだけのことになる。だが、より広い範囲の観客にアピ-ルするためには、演出は今の演劇というものを知らなくてはなるまい。こんな古い作劇ではいけない。

 なんだかそれって、この芝居の主人公の円丸と同じ事ではないか。彼が時代に取り残されるのと同じように、この芝居も時代に取り残されていく気がする。それでいいのか。というよりも、この芝居を今見せることの意味ってどこにあるのか、と考えたとき、やはり、円丸の不幸(それは昭和31年の現実なのだが)が50余年を経ても、生き続けることの意味を問いかけなくてはあまり意味がないと思う。

 パンフにあるような『ALWAYS 3丁目の夕日』に代表される昭和30年代ブームの延長線上にこの作品があるのならば、それは作者の意図とは違うものになる。オリジナルならいざ知らず実際の昭和31年に書かれた戯曲をよみがえらせてノスタルジーを描くなんてとんでもない話だ。もちろんこの芝居はそういう意図のもとに作られたのではあるまい。

 ならば、本当の意図はどこにあるのか。それが見えてこないのがもどかしい。古典が流行に負けてしまうこと。古典を目指してきた人間が、おまえの芸は今風ではないから駄目だ、なんていわれて気が狂うだなんて、それって何だ?そんな弱さの中に芸人として生きてきたことのプライドを埋没させていいのか。人間の弱さを描くにしても、この展開には承服出来ない。

 とても丁寧に作られた芝居だとは思うし、役者も上手い。しかし、それが今の芝居としての力を持っていないのでは意味がない。これは若い藤本義一の芸人に対する絶望感が根底にはあるのだろうが、今この作品を舞台にする上で、そのことはテーマにはならない。ノスタルジーではない以上、今これを上演する意義をもっと別のところに設定しなくてはこの芝居自体が成立しない。

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