74年にタイムリープする、ってなんか凄くないか。なぜ、よりによって74年だったのだろうか。あまりに身近すぎて、あの時の、ときめきとか、憂いがよみがえってくる。
中学3年から高校1年になる春。この映画が描いた時代である。主人公の芳山あかり(仲里依沙)は18歳だし、彼女が出会う青年(中尾明慶)は20歳。あかりの母親である芳山和子は17歳か。
僕である。74年の僕の話だ。高校入学前夜である74年の春がこの映画の舞台。彼らと同じようにこの空気を吸っていた。移りゆく時の中で、不安と孤独を感じていた。あの頃の感触がよみがえってくる。あの時の自分の心が僕は今でもしっかりと見える。自分の人生に於いて一番寂しかった頃だ。中学を卒業し、高校に入学する頃。
あの時、映画が大好きだった。(まぁ、今も同じだが)受験が終わったらたくさん映画を見ようと思った。あの時、自分が選んだ進路がとてもつまらないものに思えた。何をして、どんなふうに生きたらいいのかもまるでわからなかった。高校に希望が持てなかった。そんな頃がこの映画の背景として描かれる。まぁ、ここには15歳の僕は登場しないが。とても丁寧にあの時代が描かれていく。なんだか気恥かしいほどだ。NHKの『タイムトラベラー』が実は72年の放送で、あの頃夢中になった。当然原作も読んだし、それからジュニアSFシリーズをむさぼるように読んだ。眉村卓や光瀬龍のファンになった。中学の頃だ。そんなこんなが記憶の底からよみがえる。だからいつまでたってもこの映画にたどりつかない。
映画は思ったほどは面白くはなかった。期待が大きすぎたのだろう。先行する2作品は偉大だ。大林宣彦監督原田知世主演の映画の印象が強すぎる。さらには細田守監督によるアニメ映画版。あれらを受けた本作はまるで大林映画の忠実な続編である。(それは細田版にも言えることだ。どれだけ大林映画がこの作品のイメージを形作ったかがわかる)だが、この最新作はあまりに話が単純過ぎて、インパクトが弱い、と見終えた時には思えた。
先行する2作品と並べると、本作があまりにあっさりしているのも不満だった。だけど、1日たった今日、この映画の不満点が実はこの映画の魅力なのかもしれない、と思えてきた。
ここには必要以上の感傷はいらない。あかりにとって74年はただ、母の願いを叶えるための時間でしかなく、思い入れなんかない。だいたい本当は72年に行くはずだったのに、間違えたのだ。彼女にとってこの時間にはまるで意味がない。だが、偶然のミスで到着した時間の中で彼女はかけがえのない体験をする。この映画が描くのは「74年と言う時代」の冒険だ。ただそれだけが描かれていく。こんなにも大多数の人たちにとっては意味にない映画はない。だが、芳山あかりにとってこの時間は大切なものになる。本来存在するはずのない彼女が36年前の世界で恋をする。でもそれはあまりに淡いものでお互い気付くことすらない。だいたいそれを認めてしまったなら彼らの関係は壊れてしまう。
これは『ある日どこかで』とかたくさんの映画が描いてきたような時空を超えた恋物語なのだが、今迄の映画と違うのは、このあまりのあっけなさだろう。見た時、えっ、って思った。思い描いたようなSFではなく、おとなしすぎる印象を受けた。だいたいあかりは74年2月に行ったまま最後までタイムリープしない。「時をかけ」たりしないのである。だが、この映画は見終えた後でなんだかだんだん効いてくる。実はこの単純さがこの映画の力なのだ。
これは74年という時間を懸命に生きている人たちの群像劇だ。そこに紛れこんだ少女が、母親の青春時代を自分の物語として体験していくことになる。ただそれだけのことなのだ。彼女にとってここは偶然でしかないが、それに不思議の国だが、この時代を生きている人たちにとってここは必然だし、現実だ。ここにしか自分はいない。それは15歳の僕は74年のあの時にしか存在しないのと同じことだ。
あの頃のいくつもの風景は今も心の中にある。この映画が再現する74年という時間がなんだかとても愛おしい。もう2度と見ることのできない風景がここにはある。この風景の先に15歳の自分がいることが想像できるのがすごい。
この映画が描きたかったものはきっとその1点であろう。ストーリーなんかどうでおいい。2010年の18歳が、1974年の20歳と出逢い、一緒の時間を過ごす。ただそれだけのことだったのだ。かりそめの出逢いと別れ。もう2度と会うことのない2人。これこそが『時をかける少女』の永遠のテーマである。
36年後2人の再会はあり得ない。バス事故のエピソードがこんな展開の伏線だったとは。走り去る秋田行き夜行バスを必死に追いかけるあかりの姿が痛ましい。「私の想い出を消さないで!」と言った原田知世とは違って、この映画のヒロインはもっと潔い。それはドライというのとは違う。どうしようもないことが世の中にはある。受け入れがたい現実を受け入れて人は生きて行くしかないからだ。この映画の主人公はそのことをちゃんと理解している。
と、ここまで書いてきてなんだかおかしいと気付く。74年の2月って僕はまだ中2の時ではないか。僕もあかりと同じで間違えてタイムリープしてしまったらしい。この映画とはまるで関係ない75年のことを感傷的に書いてしまったよ。とほほ。
母親役の安田成美がとてもいい。彼女が原作のヒロイン芳山和子を演じる。ただし36年後の彼女だが。
中学3年から高校1年になる春。この映画が描いた時代である。主人公の芳山あかり(仲里依沙)は18歳だし、彼女が出会う青年(中尾明慶)は20歳。あかりの母親である芳山和子は17歳か。
僕である。74年の僕の話だ。高校入学前夜である74年の春がこの映画の舞台。彼らと同じようにこの空気を吸っていた。移りゆく時の中で、不安と孤独を感じていた。あの頃の感触がよみがえってくる。あの時の自分の心が僕は今でもしっかりと見える。自分の人生に於いて一番寂しかった頃だ。中学を卒業し、高校に入学する頃。
あの時、映画が大好きだった。(まぁ、今も同じだが)受験が終わったらたくさん映画を見ようと思った。あの時、自分が選んだ進路がとてもつまらないものに思えた。何をして、どんなふうに生きたらいいのかもまるでわからなかった。高校に希望が持てなかった。そんな頃がこの映画の背景として描かれる。まぁ、ここには15歳の僕は登場しないが。とても丁寧にあの時代が描かれていく。なんだか気恥かしいほどだ。NHKの『タイムトラベラー』が実は72年の放送で、あの頃夢中になった。当然原作も読んだし、それからジュニアSFシリーズをむさぼるように読んだ。眉村卓や光瀬龍のファンになった。中学の頃だ。そんなこんなが記憶の底からよみがえる。だからいつまでたってもこの映画にたどりつかない。
映画は思ったほどは面白くはなかった。期待が大きすぎたのだろう。先行する2作品は偉大だ。大林宣彦監督原田知世主演の映画の印象が強すぎる。さらには細田守監督によるアニメ映画版。あれらを受けた本作はまるで大林映画の忠実な続編である。(それは細田版にも言えることだ。どれだけ大林映画がこの作品のイメージを形作ったかがわかる)だが、この最新作はあまりに話が単純過ぎて、インパクトが弱い、と見終えた時には思えた。
先行する2作品と並べると、本作があまりにあっさりしているのも不満だった。だけど、1日たった今日、この映画の不満点が実はこの映画の魅力なのかもしれない、と思えてきた。
ここには必要以上の感傷はいらない。あかりにとって74年はただ、母の願いを叶えるための時間でしかなく、思い入れなんかない。だいたい本当は72年に行くはずだったのに、間違えたのだ。彼女にとってこの時間にはまるで意味がない。だが、偶然のミスで到着した時間の中で彼女はかけがえのない体験をする。この映画が描くのは「74年と言う時代」の冒険だ。ただそれだけが描かれていく。こんなにも大多数の人たちにとっては意味にない映画はない。だが、芳山あかりにとってこの時間は大切なものになる。本来存在するはずのない彼女が36年前の世界で恋をする。でもそれはあまりに淡いものでお互い気付くことすらない。だいたいそれを認めてしまったなら彼らの関係は壊れてしまう。
これは『ある日どこかで』とかたくさんの映画が描いてきたような時空を超えた恋物語なのだが、今迄の映画と違うのは、このあまりのあっけなさだろう。見た時、えっ、って思った。思い描いたようなSFではなく、おとなしすぎる印象を受けた。だいたいあかりは74年2月に行ったまま最後までタイムリープしない。「時をかけ」たりしないのである。だが、この映画は見終えた後でなんだかだんだん効いてくる。実はこの単純さがこの映画の力なのだ。
これは74年という時間を懸命に生きている人たちの群像劇だ。そこに紛れこんだ少女が、母親の青春時代を自分の物語として体験していくことになる。ただそれだけのことなのだ。彼女にとってここは偶然でしかないが、それに不思議の国だが、この時代を生きている人たちにとってここは必然だし、現実だ。ここにしか自分はいない。それは15歳の僕は74年のあの時にしか存在しないのと同じことだ。
あの頃のいくつもの風景は今も心の中にある。この映画が再現する74年という時間がなんだかとても愛おしい。もう2度と見ることのできない風景がここにはある。この風景の先に15歳の自分がいることが想像できるのがすごい。
この映画が描きたかったものはきっとその1点であろう。ストーリーなんかどうでおいい。2010年の18歳が、1974年の20歳と出逢い、一緒の時間を過ごす。ただそれだけのことだったのだ。かりそめの出逢いと別れ。もう2度と会うことのない2人。これこそが『時をかける少女』の永遠のテーマである。
36年後2人の再会はあり得ない。バス事故のエピソードがこんな展開の伏線だったとは。走り去る秋田行き夜行バスを必死に追いかけるあかりの姿が痛ましい。「私の想い出を消さないで!」と言った原田知世とは違って、この映画のヒロインはもっと潔い。それはドライというのとは違う。どうしようもないことが世の中にはある。受け入れがたい現実を受け入れて人は生きて行くしかないからだ。この映画の主人公はそのことをちゃんと理解している。
と、ここまで書いてきてなんだかおかしいと気付く。74年の2月って僕はまだ中2の時ではないか。僕もあかりと同じで間違えてタイムリープしてしまったらしい。この映画とはまるで関係ない75年のことを感傷的に書いてしまったよ。とほほ。
母親役の安田成美がとてもいい。彼女が原作のヒロイン芳山和子を演じる。ただし36年後の彼女だが。
仕方ない、DVDになるのを待つ。