押井守にとっては、『イノセンス』以来の長編アニメーションの新作となる。思いきった作り方をした映画になっている。だいたいこの原作を持ってきて1本の映画にしようとする試みの大胆さに驚く。この小説(森博嗣)は映画には不向きな題材である。あまりに単調な生活描写が延々と続き、絵にならない。戦闘機が飛び交うシ-ンも多々あるし、ドッグファイトだって描けるからそういうスペクタクルを狙えれるとは、誰も思うまい。この作品は『トップガン』ではない。この作品が描くべきことは、そんな単純なものではないことは小説を少し読めば簡単に理解できる。
結局これはほとんど動きもなく、ドラマもない映画となる。2時間、静かに死を待つだけのものとなる。ずっと子供のまま年をとることもなく、生き続ける。そして、いつの日にか死んでいくことを夢見る。いや、死ぬ日なんて永遠にこない。ヒロインの草薙水素は、ただ死んでいく者たちを見守り続けるだけだ。彼女の視点から世界は見られていく。
映画自体も大人たちの作ったショーとしての戦争の中で生き、そして、死んでいくキルドレ(成長を止めてしまった大人子供。ずっと子供のままだから、彼らには寿命はない)の姿をストイックに見つめ続けるだけだ。もうひとりの主人公である函南優一は、大きな意味において映画全体の中では背景でしかない。ラスト(エンドロールが終わった後の、エピローグ)が端的にそのことを証明している。
世界がこの後どうなっていくのかも、今世界がどうなっているのかすら、ここには説明はない。大きなドラナのうねりには興味がないのだ。一断面としての、時間が切り取られていくだけだ。これが永遠に繰り返されていくだろうというぼんやりとした気分だけが描かれていく。
何度となくくりかえされる戦闘。そんな一見派手な空中戦すら、単調な日常に見えてくる。見ていて眠くなってしまうような映画だ。そして、それが押井守が描こうとした世界でもある。このけだるく、生きる気分すら喪失してしまうような時間を通して、人間は何のために生きているのか、ということに対するひとつの答えが示されていく。
結局これはほとんど動きもなく、ドラマもない映画となる。2時間、静かに死を待つだけのものとなる。ずっと子供のまま年をとることもなく、生き続ける。そして、いつの日にか死んでいくことを夢見る。いや、死ぬ日なんて永遠にこない。ヒロインの草薙水素は、ただ死んでいく者たちを見守り続けるだけだ。彼女の視点から世界は見られていく。
映画自体も大人たちの作ったショーとしての戦争の中で生き、そして、死んでいくキルドレ(成長を止めてしまった大人子供。ずっと子供のままだから、彼らには寿命はない)の姿をストイックに見つめ続けるだけだ。もうひとりの主人公である函南優一は、大きな意味において映画全体の中では背景でしかない。ラスト(エンドロールが終わった後の、エピローグ)が端的にそのことを証明している。
世界がこの後どうなっていくのかも、今世界がどうなっているのかすら、ここには説明はない。大きなドラナのうねりには興味がないのだ。一断面としての、時間が切り取られていくだけだ。これが永遠に繰り返されていくだろうというぼんやりとした気分だけが描かれていく。
何度となくくりかえされる戦闘。そんな一見派手な空中戦すら、単調な日常に見えてくる。見ていて眠くなってしまうような映画だ。そして、それが押井守が描こうとした世界でもある。このけだるく、生きる気分すら喪失してしまうような時間を通して、人間は何のために生きているのか、ということに対するひとつの答えが示されていく。