舞台は学校の屋上。結果的にここに閉じ込められることになる少女たち。芝居はここから一歩も出ないし、出られない。ゾンビたちに占拠された高校。でも、彼らは基本的には高いところには上がれない。だから、屋上は安全地帯なのだが、ジワジワと彼らがそこにも迫ってくる。持久戦になりそうだが、そうなると、食料もないし、こんなところでは逃げ場はない。
彼女たちのそれぞれのドラマが描かれ、当然、同時に現状をいかに打破していくかも描かれていくわけだが、あまりストーリーが前に進まないのがつらい。『ゾンビ』や『バイオハザード』のように空間が移動していくのなら、いいけど、そうじゃないから、閉塞感ばかりが強調される。ストーリー展開のおもしろさがない。かといって、密室劇のミステリータッチで、ストーリーが内面化していくわけでもない。
これだけの人数の女の子たちを描き分け、お話を彼女たちの戦いのドラマとして構成したのは見事だが、作品が世界観を提示しきれないまま、表層的なストーリーをなぞっていくので、少し単調なものになる。少女たちの群像劇であり、あくまでも青春物語である、というラインは守りつつ、ゾンビものという組み合わせの妙で、ラストまで見せていく。
これだけの大人数が狭い舞台を駆け抜けていく。そんな少女たちの元気さが暗い話の救いだが、この女の子たちの想いがどこにたどりつくのか。もう少しきちんと、そこを見せて欲しかった。この芝居の中でしっかりとした彼女たちの未来が見たいのだ。
主人公のふたりは漫才をすることで、何を見ようとしたのか。それがこの不条理な現実の中で、どう変容していくのか。ゾンビによって歪められたわけではない。ゾンビなんかいなくても挫折した、かもしれない。現実は厳しい。そんなこと、最初からわかっている。ただ、未来はない、だけではつまらない。
舞台上には一切登場しないゾンビたちに怯えながら過ごす時間、それが何を象徴し、そこからどう脱出するのか。芝居における出口は絶対必要である。それがたとえ悲劇であろうともいいから。それをもっと鮮明に見せられたならこれは感動的な芝居になったはずだ。