今時リーディングだなんて、流行らない。一時期とても流行ったけど、最近では、やらない。なのに、条あけみさんは、今時リーディングに挑戦する。その時代錯誤ぶりが素敵だ。流行なんかには流されない。もちろん、それって気張っているのではない。彼女のスタンスなのだ。あみゅーずとらいあんぐるを始めてなんと、20年になる。毎年1回必ず公演がある。それを楽しみにしている人もたくさんいるはずだ。でも、そんなことより何よりまずは、条さんと笠嶋さんの2人は、自分たちのためだけに頑なに公演を続けるのだ。自分たちの楽しみ、喜び、それが芝居を続けることなのだ。そんな単純さをなんだか愛おしく思う。だから、みんなはそんな彼女たちの姿勢に共感し、支える。20周年記念公演のプレ企画。その第1弾だこの企画だ。
今回はなんとカフェ公演である。でも、そんなことも今時なんらめずらしいことではない。コストパフォーマンスのため盛んにおこなわれている。これは簡単に芝居を作るための手段なのだ。でも、条さんは、そんなことにも無頓着だ。世の中の趨勢なんか気にしない。自分の感性の赴くまま、である。初めてをただ楽しんでいる。カフェでリーディング。一見なんだかとても安易に見える。だが、それがそうじゃない。
面白いのは、この一見平凡な企画が、とんでもなく、素晴らしい作品を産んでしまったことにある。テキスト片手に簡単で安上がりに作ったイベント上演のような作品が、こんなにも心揺さぶるものになってしまった事実を僕はここにちゃんと書く義務がある。だって僕はあみゅずの芝居をたぶん皆勤で見ているはずだからだ。条さんが好きだから、というのもある。だって芝居としてはかなり緩くて、ちょっとなぁ、と思わせるものも実はいくつもある。でも、それでも足を運んでしまうのは、条さんから、お便りいただくと、なんだか嬉しくなるからだ。彼女を見に行く。ただそれだけでいい。
こんなことを書いていると、いつまでたっても、話が本題に入らない。この奇跡のような作品の魅力は、彼女が「カフェでリーディング」というスタイルを自分の初体験として、ちゃんと提示しょうとしたことにある。どう見せるか、何を見せるか。慎重に考える。ちゃんとカフェだからテーブルがあり、椅子があり、みんなドリンクを飲んでいる。そんな中で芝居は始まる。椅子と舞台。役者にはちゃんとアクティング・エリアを用意する。ちゃんと椅子に座ってテキストを読む。そんな「ちゃんと」のひとつひとつが気持ちいい。ささやかだけど、スタイリッシュ。さすがに今回は踊らない。でも、あみゅーずらしい温かい空間を演出する。
今回のテーマは「昭和の香り」である。向田邦子の短編小説を3篇。いずれも、今は思い出の中にしかない昭和が色濃く滲んでいる作品ばかりだ。もちろん書かれたときにはそんなこと、意識していない。たぶん。
向田邦子さんのいつもの世界だ。いずれも不倫を扱う。というより、浮気というほうがしっくりくる。男と女の秘め事だ。でも、それがいやらしいものにはならない。それは勝手な男のいいわけではない。時代の気分も反映される。よそに女が出来る。そこに通う。でも、後ろめたい気分もある。どこにでもあるような出来事。そこにいる男女を温かくみつめる。浮気を許しているのではない。浮気は男の甲斐性だなんていうのでもない。ただ、ここにある時代の気分に酔う。仕方ないこと、で済ますわけにはいかないけど、そんな彼らを突き放せはしない。彼らは彼らなりに一生懸命に生きている。3編とも、そんなこんなの女と男の姿が愛おしく描き込まれる。向田文学の魅力がしっかりときめ細やかに描き込まれる。ラフスケッチのような、このスタイルだからこそ、可能になった世界だ。これがちゃんとしたお芝居として立ち上げられたものならちょっと重すぎたはずだ。でも、このスタイルだからこそ、しっくりと胸に届くことが可能になった。
役者たちが素晴らしい。特に今回呼んできた2人の男優が素晴らしい。谷本誠さんがこんなにもいい味を出すなんて、本当にうれしい。クロムモリブデンの頃から彼のファンだったから、彼が舞台監督になりあまり舞台には立たなくなったのが残念でならない、と思っていたのだが、今回そんなことも忘れていた今頃になって、こんなにいい味を出してくれるなんて、驚き以外の何物でもない。最初の『だらだら坂』の大江雅子さんも凄い。ただ、どてっとして、そこにいるだけなのに、圧倒的な存在感だ。オットー高岡によるギターの弾き語りに乗せて、この懐かしく新鮮な世界に酔う。
今回はなんとカフェ公演である。でも、そんなことも今時なんらめずらしいことではない。コストパフォーマンスのため盛んにおこなわれている。これは簡単に芝居を作るための手段なのだ。でも、条さんは、そんなことにも無頓着だ。世の中の趨勢なんか気にしない。自分の感性の赴くまま、である。初めてをただ楽しんでいる。カフェでリーディング。一見なんだかとても安易に見える。だが、それがそうじゃない。
面白いのは、この一見平凡な企画が、とんでもなく、素晴らしい作品を産んでしまったことにある。テキスト片手に簡単で安上がりに作ったイベント上演のような作品が、こんなにも心揺さぶるものになってしまった事実を僕はここにちゃんと書く義務がある。だって僕はあみゅずの芝居をたぶん皆勤で見ているはずだからだ。条さんが好きだから、というのもある。だって芝居としてはかなり緩くて、ちょっとなぁ、と思わせるものも実はいくつもある。でも、それでも足を運んでしまうのは、条さんから、お便りいただくと、なんだか嬉しくなるからだ。彼女を見に行く。ただそれだけでいい。
こんなことを書いていると、いつまでたっても、話が本題に入らない。この奇跡のような作品の魅力は、彼女が「カフェでリーディング」というスタイルを自分の初体験として、ちゃんと提示しょうとしたことにある。どう見せるか、何を見せるか。慎重に考える。ちゃんとカフェだからテーブルがあり、椅子があり、みんなドリンクを飲んでいる。そんな中で芝居は始まる。椅子と舞台。役者にはちゃんとアクティング・エリアを用意する。ちゃんと椅子に座ってテキストを読む。そんな「ちゃんと」のひとつひとつが気持ちいい。ささやかだけど、スタイリッシュ。さすがに今回は踊らない。でも、あみゅーずらしい温かい空間を演出する。
今回のテーマは「昭和の香り」である。向田邦子の短編小説を3篇。いずれも、今は思い出の中にしかない昭和が色濃く滲んでいる作品ばかりだ。もちろん書かれたときにはそんなこと、意識していない。たぶん。
向田邦子さんのいつもの世界だ。いずれも不倫を扱う。というより、浮気というほうがしっくりくる。男と女の秘め事だ。でも、それがいやらしいものにはならない。それは勝手な男のいいわけではない。時代の気分も反映される。よそに女が出来る。そこに通う。でも、後ろめたい気分もある。どこにでもあるような出来事。そこにいる男女を温かくみつめる。浮気を許しているのではない。浮気は男の甲斐性だなんていうのでもない。ただ、ここにある時代の気分に酔う。仕方ないこと、で済ますわけにはいかないけど、そんな彼らを突き放せはしない。彼らは彼らなりに一生懸命に生きている。3編とも、そんなこんなの女と男の姿が愛おしく描き込まれる。向田文学の魅力がしっかりときめ細やかに描き込まれる。ラフスケッチのような、このスタイルだからこそ、可能になった世界だ。これがちゃんとしたお芝居として立ち上げられたものならちょっと重すぎたはずだ。でも、このスタイルだからこそ、しっくりと胸に届くことが可能になった。
役者たちが素晴らしい。特に今回呼んできた2人の男優が素晴らしい。谷本誠さんがこんなにもいい味を出すなんて、本当にうれしい。クロムモリブデンの頃から彼のファンだったから、彼が舞台監督になりあまり舞台には立たなくなったのが残念でならない、と思っていたのだが、今回そんなことも忘れていた今頃になって、こんなにいい味を出してくれるなんて、驚き以外の何物でもない。最初の『だらだら坂』の大江雅子さんも凄い。ただ、どてっとして、そこにいるだけなのに、圧倒的な存在感だ。オットー高岡によるギターの弾き語りに乗せて、この懐かしく新鮮な世界に酔う。