浮狼舎、神原組の神原くみ子が、ハレンチキャラメルを解散して新たに立ち上げた劇団。神原さんのバイタリティにはいつも圧倒される。そこにあるのは、何が何でも芝居を作ってやる、という彼女の強い意志。自分たちが今、芝居をしている、という確かな充実感。それが彼女の全身から伝わってくる。だから、劇団員のみんなにも、しっかり伝わっていく。暑苦しいくらいに熱い。
今回は神原版『ゴドーを待ちながら』なのだが、彼らが恐れながら待つゴドーならぬ「どんぐり侍」っていったい何者なのか、それが芝居の中で生きてこないのが難点。しかも、恐怖の対象のはずなのに、どんぐり侍って、なんだかかわいいネーミング。その落差が何なのか、芝居の中でもう少し言及して欲しかった。
彼らが暮らす長屋にどんぐり侍がやってくることになった。彼らは今ある現状に不満を抱きながら、仕方なく、それを受け入れて生きている。横暴な横車押左衛門(デカルコ・マリー、だ)に刃向かうわけではない。しかし、お鞠(めり、だ)は、彼の手から逃げようとする。長屋の住人たちはそんな彼女を助ける。(なんともおきまりの展開)
芝居は実に単純。横車は実は結構バカで、涙にもろい人情家。お鞠のふりしたお熊(神原さんが演じる)に騙されて彼女に求婚する、という無謀な展開で笑わせようとする。
70分の「なんだかなぁ、」という人情劇は、あっという間に過ぎていく。たわいもない話をさらっと見せきる。でも、「生きてる」ってこんなものかもしれないな、と思う。「生きる」って満更でもないな、とも、思わせる。そして、生きていたならなんとかなる。そんなノーテンキな気分にさせられるのは、神原マジックの術中に嵌まった、ということか。