本日から(2月11日)から2週間にわたってウイングフィールドでは「Plant M」による「終末Blues特集 Vol.1」として2本立で本作と『ラズベリーシャウト』が上演されている。樋口ミユによるこの過激な作品は実に興味深い。
極限まで張り詰めた空気。ピリピリする世界で、3人姉妹とその弟が対峙する。その3対1の構図は誰かを常に一人にする。弟は銃を手にして仕事に向かう。それって戦場に行くということか。人殺しの仕事。それを拒絶することはできないと彼は言う。自分はおにぎりの米粒と同じだ、と。それなら自分一人がそこからいなくなっても大丈夫じゃないか、とも思う。だけどそんなふうにしてみんなが離脱したら、それはおにぎりではなくなる。3姉妹の一番下の妹は妊娠している。いきんで出産した。生まれてきた子供は弟が手にする拳銃である。戦場をさまよう3人。戦火の中でのピクニック。銃を手にして兵士としての義務を忠実に果たす弟。次女の幼い息子は爆撃でバラバラになった。その破片となった体を拾い集めた。彼女は家を出てきて実家に帰った。夫を残して、戦場になった町から逃げ出した。3人の老婆は舟に乗り、どこに行ってしまったのか。たったひとりになってしまった姉と彼女を見守る弟と妹たち。そんなこんなのお話のバラバラの断片が、怒濤の勢いで切れ切れに提示されていく。
正直言うとよくわからない。だけど、目が離せない。僕たち観客はその瞬間瞬間をただ見つめるばかりだ。彼女たちの、そして彼の、今と過去と未来がそこにはある。張りつめられた赤い1本の糸は命のはかなさと力強さを示す。そしてそれは境界線でもある。こちらとあちらがそこで分断される。それは生と死のはざまでもある。やがてその糸が切れる。
客席を30席ほどにして、舞台を大きくとる。そのだだっ広くて暗くて何もない空間は、寂しくてこの世の果てを思わせる。ウイングをこんなふうに使うのを見たのは初めてだ。斜めに客席が設営されてある。劇場の大部分は、がらんとした空間(舞台)だ。その不安感。
作、演出の樋口ミュは物語に対して、全く説明を介しない。いくつものシーンを切り取り投げ出す。それをつなげて1本のお話として理解する必要はない。そのままで、その衝撃を受け止めるといい。(たぶん)