久々にドキドキさせてくれる新人に出会った。こういうタイプの不条理劇を今の若い世代が敢えてやろうとする、その心意気の好感を抱いた。その姿勢がとても面白い。しかも、それを高慢ちきにされたなら、鼻白むところだが、この作者は(作演出、水上宏樹)実に素朴にやってくれる。
まず自分のスタイルを大切にしているのがいい。それが何かは、この際置いといて、自分にとって必要で、それが心地いいから、取り上げる。そんな感じなのだ。一つ間違えればただの一人よがりになりかねない。それが、微妙な次元でバランスを保ち、成立している。そんな印象を持った。すこし贔屓してるかもしれない。(しかし、たまにはえこ贔屓もいいではないか。)
もう少し、ストーリーが提示するイメージを広げていくことが出来たらよかったのだが、難しかったようだ。理屈ではない、不条理の中にある論理を描ききれないから、漠然としすぎて、取り付く島がないのが、惜しい。
取り壊しを待つばかりの廃墟と化した教会で、婚約者を待つ女。彼女の元にやって来る男女との物語。これをもう少し理屈立てて見せてもいいはずだ。
1年半前に別れたきりの男を待ち、約束の日である今日、この約束の場所で婚約式を行う。友達にも案内状を出したが、誰も来ない。たったひとり、来客が来る。行方不明の恋人を待ち続ける彼女のもとに、料理教室の先生が1人、やって来るのだ。時刻は夜明け前の午前6時。
彼女は、明け方のこの時間、この場所で彼と婚約式を執り行うつもりだ。先生は彼女を祝福するためにここに来たのでは、なかった。先生は彼女の恋人が自分の夫だと言い張る。そして、証拠をあげつらうが、彼女は取り合わない。どちらかが、嘘をついているのか。それとも単なる誤解でしかないのか。
先生は、夫が浮気をしているという妄想に取り憑かれているようだ。そして、同じように彼女自身も、行方不明の恋人が、今日帰って来るという妄想に取り憑かれているのかもしれない。彼女が、ひまわりが枯れるのを食い止める姿は、彼女の彼への執着を象徴している。そして、彼女の狂気は、先生だけでなく続々と、誰かをここに集めてくる。
まず、先生の夫が現れる。彼は妻の異常を察知して、追いかけてここまで来たようだ。やはり、彼女の恋人とは別人である。しかし、先生は信じない。女と夫が共謀して自分を欺こうとしている、と思い込んでいる。
ここから、話はさらに、ややこしくなる。先生の夫の本当の愛人がやって来るのだ。しかも彼女は高校生である。さらには、、彼が先生と結婚する前に結婚していた女(先生の夫はそのことを先生に隠してたようだ)までが、ここに来る。その女はなんと先生の夫の子供を身籠っている。先生の夫には、全く心当たりがない。夫はだいたいその女の存在すら知らない。
彼女の周辺で先生夫婦を巡る話が、展開していき、主人公である彼女を蚊帳の外にして、どうどう巡りを繰り返していく。彼らが揉めている間、彼女はひたすら恋人を待ち続けることになる。
はたして恋人は帰ってくるのか?そして、この4人は何なのか?
すべては、女の見た妄想なのかもしれないし、そうでないかもしれない。この4人の存在も女の中にある恋人への不信感が産んだ幻ではないか、とすら思わせる。
風の音。気配だけの麦藁帽子の女。彼らが怯えるもの。最期に出てきた夫の前妻と言う身重の女は、麦藁帽子を被っているが夫婦は、その女は彼らが気配として感じる麦藁帽子の女は彼女ではないと言う。あの女は妊娠なんてしていなかったからと。では、麦藁帽子の女とは何?
いくつもの謎を散りばめながら、そこにはっきりとした答えの提示はない。そして、当然のように恋人はいつまで待っても来ない。
ラストで、一人恋人を待ち続ける、彼女の元に、先生が再びやって来る。ファーストシーンと同じように。だが、この芝居はそこで円環運動を繰り返すのではない。先生は、彼女に、来週の料理教室の開催場所が変更になった旨を伝える。そこで暗転。幕。
全てを妄想として解決するのは容易い。しかし、この妄想はかなり強烈な毒を持つ。その毒の正体を芝居は描けない。
まず自分のスタイルを大切にしているのがいい。それが何かは、この際置いといて、自分にとって必要で、それが心地いいから、取り上げる。そんな感じなのだ。一つ間違えればただの一人よがりになりかねない。それが、微妙な次元でバランスを保ち、成立している。そんな印象を持った。すこし贔屓してるかもしれない。(しかし、たまにはえこ贔屓もいいではないか。)
もう少し、ストーリーが提示するイメージを広げていくことが出来たらよかったのだが、難しかったようだ。理屈ではない、不条理の中にある論理を描ききれないから、漠然としすぎて、取り付く島がないのが、惜しい。
取り壊しを待つばかりの廃墟と化した教会で、婚約者を待つ女。彼女の元にやって来る男女との物語。これをもう少し理屈立てて見せてもいいはずだ。
1年半前に別れたきりの男を待ち、約束の日である今日、この約束の場所で婚約式を行う。友達にも案内状を出したが、誰も来ない。たったひとり、来客が来る。行方不明の恋人を待ち続ける彼女のもとに、料理教室の先生が1人、やって来るのだ。時刻は夜明け前の午前6時。
彼女は、明け方のこの時間、この場所で彼と婚約式を執り行うつもりだ。先生は彼女を祝福するためにここに来たのでは、なかった。先生は彼女の恋人が自分の夫だと言い張る。そして、証拠をあげつらうが、彼女は取り合わない。どちらかが、嘘をついているのか。それとも単なる誤解でしかないのか。
先生は、夫が浮気をしているという妄想に取り憑かれているようだ。そして、同じように彼女自身も、行方不明の恋人が、今日帰って来るという妄想に取り憑かれているのかもしれない。彼女が、ひまわりが枯れるのを食い止める姿は、彼女の彼への執着を象徴している。そして、彼女の狂気は、先生だけでなく続々と、誰かをここに集めてくる。
まず、先生の夫が現れる。彼は妻の異常を察知して、追いかけてここまで来たようだ。やはり、彼女の恋人とは別人である。しかし、先生は信じない。女と夫が共謀して自分を欺こうとしている、と思い込んでいる。
ここから、話はさらに、ややこしくなる。先生の夫の本当の愛人がやって来るのだ。しかも彼女は高校生である。さらには、、彼が先生と結婚する前に結婚していた女(先生の夫はそのことを先生に隠してたようだ)までが、ここに来る。その女はなんと先生の夫の子供を身籠っている。先生の夫には、全く心当たりがない。夫はだいたいその女の存在すら知らない。
彼女の周辺で先生夫婦を巡る話が、展開していき、主人公である彼女を蚊帳の外にして、どうどう巡りを繰り返していく。彼らが揉めている間、彼女はひたすら恋人を待ち続けることになる。
はたして恋人は帰ってくるのか?そして、この4人は何なのか?
すべては、女の見た妄想なのかもしれないし、そうでないかもしれない。この4人の存在も女の中にある恋人への不信感が産んだ幻ではないか、とすら思わせる。
風の音。気配だけの麦藁帽子の女。彼らが怯えるもの。最期に出てきた夫の前妻と言う身重の女は、麦藁帽子を被っているが夫婦は、その女は彼らが気配として感じる麦藁帽子の女は彼女ではないと言う。あの女は妊娠なんてしていなかったからと。では、麦藁帽子の女とは何?
いくつもの謎を散りばめながら、そこにはっきりとした答えの提示はない。そして、当然のように恋人はいつまで待っても来ない。
ラストで、一人恋人を待ち続ける、彼女の元に、先生が再びやって来る。ファーストシーンと同じように。だが、この芝居はそこで円環運動を繰り返すのではない。先生は、彼女に、来週の料理教室の開催場所が変更になった旨を伝える。そこで暗転。幕。
全てを妄想として解決するのは容易い。しかし、この妄想はかなり強烈な毒を持つ。その毒の正体を芝居は描けない。