とてもシンプルで美しい作品だ。今まで取り上げてきた泉鏡花作品と同じテイストなのに、描かれ方が違う。まるでおとぎ話でも見てるようで、その素直な語り口に戸惑うくらいだ。キタモトさんはいつもながらのタッチで、淡々と見せる。語り手である女(条あけみ)が出て来て、彼女の語りによって観客は海の底へといざなわれる。
前半は少し単調で乗り切れないかもしれない。役者は動かないし、正面を向いて立ったままで淡々としゃべる。エモーションはない。感情が入らない。ひっかかることもなく、自分自身と向き合うように観客に話しかけてくる。舞台上の葛藤が描かれないから、作品世界に引き込まれることもない。水槽によって隔てられた舞台と客席そのままの、距離感がもどかしい。しかし、そんなことは最初から狙っていたことで、静かに語られるお話はあまりに簡単な物語で、本当なら5分、10分で終わるようなものだ。それを1時間40分というゆったりした長さで表現しただけなのだ。では、この芝居は冗長でつまらないのか、と言うともちろんそんなわけはない。単純な話をゆっくりしたテンポでなんの仕掛けもなくそのまま見せて、なおかつおもしろい。長いとか短いとか、そういう問題ではない。観客をゆっくり世界の中に引き込んで行き、この世界の中に永遠に封じ込めようとするのだ。
人身御供となった美女(こやまあい)が公子(大熊ねこ)のいる竜宮城にやってきて、その美しい世界の中に染まっていく。そんなお話に人間のどうしようもない想いを挟み込みながら、それすら浄化していき、静かにこの世界にくるまれるまでが描かれる。大蛇の姿で人間世界に戻るエピソードで破局とはしないのもいい。幸福なエンディングは心地よい。
海底に棲む住人たちの世界にたったひとりの人間である女が招かれ、両者の差異をきちんと見せることによって、人間の愚かさをちくりと示唆する。そこには何の気負いもない。自然体である。批判とかではなく、ただあるがままに描く。主人公2人による愛の世界はまるで宝塚歌劇でも見てるようだ。
前半は少し単調で乗り切れないかもしれない。役者は動かないし、正面を向いて立ったままで淡々としゃべる。エモーションはない。感情が入らない。ひっかかることもなく、自分自身と向き合うように観客に話しかけてくる。舞台上の葛藤が描かれないから、作品世界に引き込まれることもない。水槽によって隔てられた舞台と客席そのままの、距離感がもどかしい。しかし、そんなことは最初から狙っていたことで、静かに語られるお話はあまりに簡単な物語で、本当なら5分、10分で終わるようなものだ。それを1時間40分というゆったりした長さで表現しただけなのだ。では、この芝居は冗長でつまらないのか、と言うともちろんそんなわけはない。単純な話をゆっくりしたテンポでなんの仕掛けもなくそのまま見せて、なおかつおもしろい。長いとか短いとか、そういう問題ではない。観客をゆっくり世界の中に引き込んで行き、この世界の中に永遠に封じ込めようとするのだ。
人身御供となった美女(こやまあい)が公子(大熊ねこ)のいる竜宮城にやってきて、その美しい世界の中に染まっていく。そんなお話に人間のどうしようもない想いを挟み込みながら、それすら浄化していき、静かにこの世界にくるまれるまでが描かれる。大蛇の姿で人間世界に戻るエピソードで破局とはしないのもいい。幸福なエンディングは心地よい。
海底に棲む住人たちの世界にたったひとりの人間である女が招かれ、両者の差異をきちんと見せることによって、人間の愚かさをちくりと示唆する。そこには何の気負いもない。自然体である。批判とかではなく、ただあるがままに描く。主人公2人による愛の世界はまるで宝塚歌劇でも見てるようだ。