あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

イナゴの思い出

2006-09-11 23:56:54 | 思い出
この時期になると、田んぼのあぜ道にイナゴが見え隠れするようになるが
昔から比べると、随分とイナゴが少なくなったような気がする。
年々強力になっていく殺虫剤や除草剤の影響か…。

むかし、私が小学校の頃は課外授業の一環として
イナゴ取りや落穂拾いがあって、それで学校の備品などを補充していた。
一人200グラムと決められて、集まったイナゴは大釜で茹でられる。
その茹で上がったイナゴを販売していた事があった田舎の小学校だった。

ところが私ってヤツは、そういう取りものが苦手で
何時まで経っても、200グラムを集められず
一緒にいる友達から分けてもらったりしていた。

手ぬぐいを半分にして縫い合わせた、イナゴ取りの袋を持って
稲刈りが終わって、三束立て?っていうのか
刈った稲の間をイナゴを追いかけて歩ったものだった。

そのイナゴは佃煮にされ食卓に上がるのは
当時としては珍しい事ではなかった。
今は、イナゴの佃煮なんて、若い者は気味悪がって食べないが
貴重な蛋白源でありカルシューム源でもあった。

うちの母親の作るイナゴの佃煮は
販売されているようなベタついたものではなくて
茹でてから“ふんばり”と言っていた後足?は口に残ると取り除いていた。
そうして一度干してから、黒砂糖をメインに作っていたので
食感がサクサクしていて美味しかったのを覚えている。

一度私も作ってみたが、あんなふうには出来なかった。

我がpochiko地区も圃場整備の為に、年々イナゴも少なくなって
以前のように近隣の人が、手ぬぐいの袋を持ってイナゴ取りする
そんな姿も見かけられなくなってしまった。

今はコンバインで稲を刈って脱穀までしてしまい
直接乾燥機で乾燥するようになり、刈った後は何も残ってはいない。
昔はバインダーで刈り、三束立てで干したら“穂荷積み”と言って
棒を立てて、乾いた稲の束をまとめて積み上げていた。

秋は雨が降りやすく、日が照ったらすぐに脱穀出来るようにと
大きなビニールの袋などをかぶせて置いたものだった。
そうして霧深い朝からでも脱穀作業をしていたのだが
そんな姿はついぞ見られなくなってしまった。

昔ながらの稲刈り風景と、イナゴ取りのおばあさんの姿は
稲刈り時期…秋の風物詩だったのかもしれない…。

今日の一枚、特に関連はないがムラサキツユクサ。



コメント (24)
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