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ぽちごや

FC東京のディケイドSOCIOです。今シーズンは丹羽ちゃんとともに闘います。

ミケランジェロの暗号

2011-09-16 11:07:44 | 映画

残暑ざんしょw

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まだまだ夏の名残を残してますけど、確実に空が高いです。

ミケランジェロの暗号を観ました。

意見がわかれる作品かもしれませんね。第二次世界大戦のドイツが舞台なんだけど戦争物じゃなく、ユダヤ系とアーリア系の旧友同士が交差するけど人権論でもなく、タイトルの通りにミステリーなんだけど、米英作品のような本格派じゃない。観かたによっては、中途半端にうつるかもしれません。

ナチ政権下のウィーンに戦争の足音が近づいてきます。そんな折、画廊を営むユダヤ系のカウフマン一家に、200年前に盗まれたとされるミケランジェロの絵があるという噂が流れます。SSがこの話を聞きつけ、ヒトラーに献ずべくカウフマン家に迫ってきます。きっかけはカウフマン家の長男ビクトールの幼馴染で、幼少から一家の世話になったルディの裏切り。ビクトールからミケランジェロの絵の在処を聞いたルディは、SSにその情報をリークします。ルディはアーリア系。うだつがあがらない人生を変えたかったんでしょう。体制の変化によるパラダイムシフトは、ある意味権益の移譲を生みます。ビクトールの恋人のレナに資産を託し、中立国スイスへの逃亡を計画するカウフマンを騙すSSに、知らなかったとはいえルディは加担することになります。士官として恵まれた生活を送れることになったルディは、レナも手にいれ、画廊をのっとる。ところがSSが手にいれた絵は実は贋作だとわかったところから、ドラマは急展開。家族がバラバラになり収容所生活を送るビクトールが本物の在処を知っているとして、口を割らせるべくルディがベルリンに連行中に飛行機が墜落。ビクトールとルディだけ生き残る。すったもんだの末服を交換しルディのフリをするビクトールはレナを取り戻す。一方でユダヤ人の扱いを受けるルディ。ビクトールはSSの立場を利用して、レナとともに母親をスイスに逃がそうとする。無事、スイスに逃亡できた母親とレナだけど、ビクトールはウィーンで拘束。危機が迫るところで、政治情勢が一変。どうなる?、ビクトールとミケランジェロの絵。

たしかに暗号らしきものは出てきますけど、謎解きの要素はほとんどありません。本物の絵の在処は、だいたいわかりますw。だからミステリーじゃない。第二次大戦時のドイツで、ユダヤ系とアーリア系の対立にスポットライトをあてるテーマだと聞くと、社会派ドラマかと思うのですがそんなことはなく、むしろその世界中のだれにでもわかりやすいバックグラウンドを利用して、観る側の意表をつく効果を狙ったんだと思います。

ようするにこの映画は、ストーリーを楽しむコメディ作品です。それも馬鹿騒ぎするようなコメディではなく、とってもお洒落。ビクトールとルディがすり変わるところなんかネタとしては有り勝ちなんだけど、背景が背景ですから、そうきたかと思わずニヤっとしてしまいます。たぶん、この作品を楽しめるかそうでないかは、このあたりのギャグセンスを受け入れられるかどうかではないかな。

展開の折り目に流れる、軽妙なスウィングの旋律がストーリーにぴったりです。最初にお洒落なジャズが流れるんですが、これから始まる物語は、大人の洒落たコメディですよ、という宣言のように感じました。スウィングを使う監督さんといえば日本では矢口史靖監督ですね。そういえば、矢口監督作品のテイストと似ているかもしれませんね。三谷幸喜監督ほどギャグを作り込みすぎてなく、喉ごしスムーズな感じw

キャストもお洒落な雰囲気でした。もちろん、みなさんドイツのかたなんで、初めてみた役者さんですけど。

いろんな国の映画をみると、その国の感性を知ることができるので楽しいです。ドイツ映画はソウル・キッチン以来でした。ソウル・キッチンは現代劇ですから、ドイツの市民感覚を理解してないと、演出の意図のすべてを理解することは難しいです。だけど、この作品は日本人でもよく知ってる時代背景をモチーフにしていますから、わかりやすいです。

いい意味で、軽い気持ちで観に行くことをオススメします。

大人のカップルにちょうどいいかも。


ツリー・オブ・ライフ

2011-09-08 22:05:59 | 映画

テレンス・マリック監督のツリー・オブ・ライフをみました。

正直、あんまり期待してませんでした。テレンス・マリック監督の作品はシン・レッド・ライン以来です。1998年の作品だからなんと13年w。映像は綺麗なんだけど難解というイメージがあり。

イメージとおりでしたーw。

でもちょっと印象違った。面白かったです。自分が歳をとっていろんな経験をしたから、なのかな。だとすると嬉しいことです。

オブライエン家の長男ジャックの成長物語とも言え、宗教映画とも言え、ファミリー映画とも言え。次男が19歳で他界したという連絡が、お母さんのところに届いたところから物語ははじまります。次男の死が一家のターニングポイントとなりました。父親は厳格すぎた育て方を悔い続けています。母親は激しいショックをうけます。敬虔なクリスチャンで神を信じる人生を送る彼女は、幸福をもたらすはずの神と非常な現実の運命のギャップに迷い続けますが、神を信じることで立ち直ります。長男ジャックは、父との確執と、思春期ゆえに弟につらくあたった関係を改善できないまま弟に先立たれてしまった喪失感から、ビジネスの成功の裏で贖罪の意識を持ち続けています。オブライエン家の時間は、次男が死んだときから止まっている。

ストーリーは、日々悩み続けるジャックが、仕事中に少年時代を回想していくという構成です。宗教的なテイストを感じるのは、巻きもどる先がはるか宇宙の誕生から始まるところに因があるんだと思います。やがて地球ができ、生命が生まれ、そしてジャックがこの世に生を受け、愛されて育ち、そして弟ができる。壮大な天地創造から、ひとりの少年の物語に。

幸せな家庭にひびが入るのは、父親の支配性が顔を出しはじめてから。父親は音楽家を目指していましたが、道なかばで挫折。比較的不自由ない生活を送ってはいますが、失意はくすぶっていた。その想いを三人の息子たちに託してしまいます。とくに長男への期待が大きすぎた。息子たちには重すぎました。優しい母親は慕われますが、息子たちには成長するに従い、父親に支配される母親の姿を疑問に思いはじめ、疎まれるようになります。

ラストは、伝説巨人イデオンの最終回のような感じです。受け取りかたはいろいろでしょう。つまり、よくわかんないw

父親はブラッド・ピット。マッチョなイメージにするためにちょっと太めにしたのでしょう。すっかりオッサンですw

母親役のジェシカ・チャステインがめっちゃ綺麗です。グゥイネス・パルトロウのような、気高い美しさです。劇中20歳以上歳をとるんですが、全然かわらないw。まあ、リアリスティックを追求する作品ではないので、これでよいです。ことし出演作品が多く、スターダムにきている俳優さんかもしれませんね。

長男ジャックの成長後は、ショーン・ペン。ほとんど、いやまったくセリフはなく、ひたすら苦悩のシーンのみ。あ、電話かけてるシーンと打ち合わせのシーンでちょっと喋ったw

次男役のララミー。エップラーがめっちゃブラピに似てます。そういえばジャック役のハンター・マクラケンもショーン・ペンに似てる。このあたり、注目ですよw

ドラマのはなしとすると、よくある家族問題です。父親、母親、ジャックの懺悔を、それぞれの目線で描くシーンを紡いでいきます。このよくある話をドラマチックにするのは、テレンス・マリック監督独特の映像表現。自分はシン・レッド・ラインで経験済みなんですが、13年前より先鋭的になってました。当時はなかったCG技術を使っているというのも理由でしょう。監督の映像は、とてもシャープです。陰影がはっきりしている。自然の美しさだけじゃなく、ビルなどの人工物の美しさも表現しています。監督の美に対する価値観が伺えます。ジャックの回想を天地創造まで遡るあたり、監督の美意識を強烈に感じます。正直、ひとつ一つの映像芸術の目的はよくわかりません。監督の自己満足ですね。でも、それでいいと思います。映画は半分ビジネスですが、もう半分アートですから。日本で、これだけ大きく配給されるアート作品はないと思います。このあたり、アメリカの懐の深さを感じます。

それでいて、未熟あるいは独善的な監督が撮る先鋭作品に比べ、はるかにわかり易いですし、エンターテイメントでもあります。ジャックが少年独特の反抗期に入ったときの心理的なスリル感は、商業映画として十分に楽しめます。

率直なところ、もっと小さな劇場で十分だと思います。映像は極めて美しいので大画面のほうがいいのですが、ターゲットとする観客のストライクゾーンがあまりにも狭すぎる。観念性が強すぎ娯楽性が薄いので、やっぱりよくわかんない作品です。というわけで、観るひとを選ぶ作品ですから、たとえばブラピやショーン・ペンの名前でチョイスされるかたにはとりあえずオススメしないでおきますw

ただ、純粋に美しい映像を楽しむかたとテレンス・マリックファンのかたには十分楽しめる作品だと思います。あと、ジェシカ・チャステイン!


ゴーストライター

2011-09-02 21:12:58 | 映画

ゴーストライターを見ました。ユアン・マクレガーが出るサスペンスと聞くとみないといけないでしょーw

アダルティなサスペンスでございます。サスペンスは謎解きが醍醐味です。謎は犯人にあるのか?、犯行の手順にあるのか?、動機なのか?がポイントになりますけど、この映画は謎のポイントを掴むことそのものも楽しむ構成になっていような気がします。

物語は元英国首相アダム・ラングの自伝を執筆中のゴーストライター、カマラが遺体で見つかったところから始まります。自伝が未完成なので、後任のライターが必要ということで、数人の候補者の中から主人公ザ・ゴーストライター(ちなみに名前はありません)が選ばれます。

米国の孤島にあるラングの住居にきたゴーストライターは、ラングと彼をとりまく人物に次々と会います。妻のルース、秘書のアメリア。どうやら男ひとりと女ふたりの関係は微妙らしい。自伝の仕事がはじまった矢先、ラングのスキャンダルがおこります。首相時代にイラク戦争の捕虜虐待幇助の疑い。政友ライカートによる告発です。ゴーストライターは始めはスキャンダルとは距離を置いて自伝ライターに徹しようとしますが、ラングの声明を代筆したり、次第に巻き込まれていきます。興味には逆らえずカマラが残した秘密の資料を目にしラングの過去を知ることで、ゴーストライターの探索が始まります。と同時に彼の身に迫る影。そしてミステリアスな大学教授との出会い。

カマラが死んだ理由が謎解きの発端なんですけど、それだけで終わるほど単純ではありません。話が進むにつれ、ポリティカルな事件や男女間の問題を絡めて、いったい何が謎なのか、わかんなくなりますw。そのあたりも含めて観客に楽しませるという、ポランスキー監督の計算だったような気がします。

黒、あるいは濃灰色がとても印象的です。衣装や車など。孤島の空も灰色の雲が厚くどんより漂い、アダルティな作品のイメージを作り上げるのに一役買っています。

ユアン・マクレガーは、トラブルに巻き込まれるノーブルなキャラにピッタリ。彼をキャスティングする時点で、この作品の成功は半分きまったんじゃないかと思います。

のこり半分がラング役のピアース・ブロスナン。首相をするだけのナチュラルな魅力とミステリアスな部分を併せ持ち、かつセクシーという、ぴったりはまったキャスティングでした。たしかにルースとアメリアがストーリー上では重要なんですけど、謎めいた雰囲気をつくる触媒の役を成すのがラングだと思います。そこにピアース・ブロスナンを持ってきたのが作品成功のもう一翼。

ラングの設定が、トニー・ブレアを彷彿とさせたり、ライス国務長官に似たキャラが登場したりと、現実のイラク戦争をモチーフにしているところが随所に出てきますが、あまりポリティカル・メッセージは感じませんでした。むしろエンターテイメントの一環として、ポランスキー監督の洒落のような気がします。

アダルトな雰囲気ですから、サスペンスといってもドキドキワクワクなところはありません。静かにじわーときます。そういう意味では万人受けする作品ではないような気がします。大人のカップルにいいのではないでしょうか。


エッセンシャル・キリング

2011-08-09 18:23:21 | 映画

エッセンシャル・キリングをみました。

正直苦手なタイプの映画です。殺人劇は好みじゃないというのを席に座ってから気付きました。この不安感といったらないw。

これが案外と。

確かにこわい映画なんですけど、殺人シーンは演出を常識の範囲内で押さえてあって、グロテスクなところはありません。 自分にも耐えられるレベルでした。

タリバン兵の脱走サバイバル劇なわけですが、殺人そのものにフォーカスをあててなく、心理的に追いつめられる様を描く作品です。タリバンというと、どうしてもイデオロギーがフィーチャーされることが多いでしょうし、見てるこちらもそれを半ば期待してるんだと思います。でもこの作品はそのような空気をほとんど感じさせません。意図的なのかな?どうかはわかりませんが、純粋に心理の変化を描写したいんじゃないかという気がしました。

殺人を繰り返す故か、追いつめられる恐怖からか、それとも自然の中に一人ぼちでいることに死の臭いを感じたのか、ムハンマドは次第に常軌を逸した行動をとるようになります。すごい緊迫感です。逆に彼のいる場所は、山合から人里に近づいて行く。ちょっと安心します。この緊迫感と安堵が矛盾することなストーリーのなかに織り込まれているのは、スタッフの巧みなところなんだろうなと思いました。

最後にたどり着いたのがクリスチャンの家。クリスマスをお祝いしていたようなのでクリスチャンなんだと思います。イスラエル以外の中東にクリスチャンがいるのかどうかはわかりません。でも、話の筋として、すばらしいと思いました。タリバン兵の逃走のゴールがクリスチャンって。これも、けして宗教的なメッセージは感じませんでした。

緊張感漂うドラマですが、全編を通じてとても静かな印象を受けます。真っ白な背景に登場人物だけがいる。そんな感じ。

監督はイエジー・スコリモフスキ。ポーランドの巨匠ですが初めてみました。

主演はヴィンセント・ギャロ。自分の内側と外側に追い詰められる様の演技がすばらしかった。

およそ一般受けする作品ではないですから娯楽作品が好きなかたにはオススメは控えますけど、アーティスティックな作品が好きなかたは一見の価値ありです。


ちいさな哲学者たち

2011-07-12 21:40:30 | 映画

ちいさな哲学者たちを観ました。

パリの公立幼稚園で園児に哲学を教えようという試みを撮影したドキュメンタリーです。

幼稚園児の映画だから、なんて舐めたらダメですよ。子供たちが交わす議論の濃さに驚かされます。「考えるというのは、自分のなかに質問すること」→これ、園児のコメントですからw

もうひとつの魅力は、実に子供らしいしぐさ。退屈で寝ちゃう子とか、駄々っ子な子もいて、和みます。

テーマは本格的ですよ。

 ・考えるとは

 ・大人にできて子供にできないこと

 ・友達と恋人は違う?

 ・男と女は一緒?

 ・死とは

 ・路上生活者に施しをすべきか?

 ・自由とは?

ろうそくを灯すのを合図に授業がはじまります。さぁみんな、考えるよー。 最初は先生が質問をしてもまったく反応がありませんでした。興味がないんでしょうね。子供ですから。

きっかけは、「友達ってなに?」から。恋人と友達は違うって話が始まりました。恋人は口にキスするけど、友達はほっぺとか。パパとママは好きだし口にキスするけど恋人じゃないとか。幼稚園児なのに恋愛してるんですよ。二股とか復縁話しとかw。日本の幼稚園はどうなんですか?

父兄参観日があって、あるお母さんが言ってたんですが、哲学のコースは親が話しのきっかけをつかみ難い話題を学校が取り上げてくれありがたいと。家庭でも自然に話し合うようになったんだそうです。なるほどです。あるお家では、パパとママなんていらない、だってテレビ見てるだけじゃんwなんて子がいまして。じゃあお前は親の我々にとって何のメリットがあるのかな?みたいな議論が展開されるわけです。

パパとママはほとんど一緒なんだけどちょっと違うという話しから、夫婦喧嘩の話になって、女はうるさくて面倒くさい。男の内面に干渉しすぎとか。

一番白熱したのは、貧乏とお金持ち。路上生活者に施しをすることはいいことだと思う子と、路上生活者は結果的に(つまり彼らの選択で)貧乏になったんだから施しは必要ないという子がいて、意見が割れました。ロールズ的リベラリズムとリバタリアニズムですね。あんまり白熱したもんだから喧嘩になっちゃったのだけど、先生は意見が違う子を叩くんじゃなく、お話しして解決するべきだと諭します。哲学の大事なところはここですよね。意見が異なるひとは絶対いるんです。いや、多様な意見があるからこそ社会はうまくいくんですよね。二度とファシズムを繰り返さない知恵。映画のなかで男の子が、哲学は話し合いをしないといけないから面倒だと言ってたんですが、まさにそのとおり。でも面倒なステップを踏むことがより多くのひとの幸福をもたらすことを学ぶ授業なんですね。それを幼稚園で学習するわけです。いやフランス人はすごいなw

最後は自由について話し合いました。結果的にはひとりで外に出られることが自由みたいな結論になって、そこはやっぱり子供なんですけど、はじめ「大人にできて子供にできないこと」というテーマにまったく反応できなかった子供たちが、結果的に同じテーマに戻って自発的に議論を進められるようになったことは、話し合いのプロセスを学ぶことができた証なんじゃないでしょうか。

マイケル・サンデル先生の白熱教室にエキサイトしたかたなら、絶対興味深く観ることができると思います。もちろんストレートに、親や教育関係者が幼児教育のベストプラクティスを学ぶという意味でも価値はあると思います。オススメです。