Pochiのブチブチジャーニー

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先祖を調べてみる

2012-07-08 11:43:41 | Weblog
 母親が死んだのを契機というわけでもないが、先祖はどんな人なのかと思い調べてみた。
 すると、ネットには結構それ関連のサイトなどもあるようで、とにかく戸籍謄本から揃えてみることにした。

 ところが、これが結構大変で我が家はいま杉並に住んでいるが、母は渋谷で育ち祖父は麻布で育っている。
すると、杉並・渋谷・港の三区を巡り、除籍謄本をとらなくてはならない。しかも、謄本の保存期間が80年
となっているので古いものは処分されているのだ。

 幸いに父が死んだときに港でとった謄本が残っており、これが大正時代に作られたもので戸主は曾祖父、
さらに前戸主である高祖父の名前もあったのだが、なにせ手書きのため極めて読みにくい。それでも、
なんとか、わかる範囲で見ていくと曾祖父は養子で、しかも、高祖父が死んでから後で養子に入ったようだ。
この空白はなんなのか、疑問は残るがなにせ資料もない。

 昔、祖母から聞いたところによると高祖父は夫婦養子で侍であったという。出身は熊本で明治維新の時に
友人3人と刀を担いで東京にでてきて友人は軍人になり、曾祖父は学校の教師になったというが、当時はpochiも
幼くそれ以上の詳しいことには関心もなかった。今になってみると、残念なことである。

 そこで、ネットで肥後熊本で検索してみると、郷土史を研究している方のページにヒットし、その中で明治7
年に刊行された「肥後熊本藩・宇土藩・高瀬藩 有禄士族基本帳」というのがあることを知った。曾祖父の名前で
検索してみると、該当したので熊本県立図書館に有料コピーをお願いした。

 すると、禄高は切米7石3人扶持、職務は留守徒士であること、明治3年に改名していることなどを明治7年2月
9日付けで当時の白川県県令 安岡良亮に届け出ている。下級武士ということで生活も苦しかったろうと
推測される

 とりあえず曾祖父のことでわかったのはこれくらいだが、もう少し調べを続けようかと思っている。
ちなみに曾祖母は美濃岩村藩の祐筆の娘のようだが、母は不詳となっている。このあたりも興味深い
ことであり、どうなっているのか知りたいが、残念なことに大正以前の曾祖母の出生地の除籍謄本は
廃棄されている。

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