月に一度くらいだと思ったが、曽野綾子の原稿が産経の1面に載るが、この原稿は面白い。先日はアフリカだったかの高級レストランで「お釣りが少なかった」と料金を支払った後で訂正した主人の話だった。この話に感激した人に、曽野氏は主人の行為は客寄せのための手段というように解釈するのだ。その後も皮膚病の子供の手を握っていた話などが出てくるのだが、基本的に単純素朴に受け取らない、批評的に解釈するところが小気味いいのだ。
こういう見方もあるのかと示唆するところが魅力的なのだ。
その点、朝日の社説のように国旗・国歌に反対している教師の訴えが高裁で却下されたことに憤るような、単純なバイアスのかかった正義感(この手のものが多い)と比較してみるとはっきりする。そもそも、校内の教師は権力者の一員なのに自分たちはぢがいますのような顔をすることがおかしい。教師の論理を借りれば、生徒にだって内心の自由があることになる。とすると、教師のつまらない授業に対して反対してもそれは正当ということになるのでは…。
こういう見方もあるのかと示唆するところが魅力的なのだ。
その点、朝日の社説のように国旗・国歌に反対している教師の訴えが高裁で却下されたことに憤るような、単純なバイアスのかかった正義感(この手のものが多い)と比較してみるとはっきりする。そもそも、校内の教師は権力者の一員なのに自分たちはぢがいますのような顔をすることがおかしい。教師の論理を借りれば、生徒にだって内心の自由があることになる。とすると、教師のつまらない授業に対して反対してもそれは正当ということになるのでは…。