ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

といふといへども

2017年07月14日 | 本/図書館/言葉

 一月ほども前(6/11)の朝日、歌壇と俳壇のコラム欄 「うたをよむ」、俳人の中田剛(なかたごう/1957‐)さんの 「といふといへども」が載っていた。

 コラムは、“ 俳句の表現は使う言葉のひとつひとつが読み手の眼前にとりわけ大写しになる。ゆえに表現の綾(いいまわし・ふしまわし)がとても大事。よって表現のすみずみに神経を行き渡らせる ” (ママ)と始まる。

 そこで俳人は、 白牡丹(はくぼたん)といふといへども紅(こう)ほのか  (虚子) の句を引いて、

 例えば “ 普通この句は 「白牡丹といへど紅ほのかなる」あるいは 「白牡丹なれども紅のそこはかと」あたりで仕上がってもよく、そのような句形で充分であると思う ” という。

 だが、“ この句を唯一無二の牡丹の名句にしているのは間違いなく 「といふといへども」である ” と。

 また、“ 屈託を含んだ揺らぎ表現がこの句の肝である。「といふ」と 「といへども」の間の逡巡のひと呼吸が絶妙である ” と説く。

 純白の牡丹を眺めていると、微かに紅が滲んでい、あっ、と声を上げそうになる、そんな情景が鮮やかに浮かぶ。

 その感情の揺れを 「といふといへども」に込めているというのだが、研ぎ澄まされた言葉の美しさに感じ入らせられる。

 牡丹にかぎらず、ひとつの色のはずの花弁にもうひとつの色が少し混じっているのを見つけたりすると、その在りし日を想わされることも、往々に・・・ある。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1344

コメント (2)
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