有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

妖怪

2011年12月20日 05時46分16秒 | モブログ
畠中恵 著
「しゃばけ」シリーズ

初めて手に取ったのは図書館で借りたものだった。

理由は何だったか忘れたけど、どうにも頁をめくる手が進まずロクに読まずに返した。

しばらく経って、テレビで実写化された映画版を観た。
(多分、妖怪好きの次男坊にせがまれて録画したんだったと思う。)

で、見事に登場人物のイメージが固定されてしまった。

それからまたずいぶん経った先日、友達がシリーズを貸してくれたので読んだ。

ここのところ目の調子が悪いので文字を追うのは辛いけど、面白いから読み出したら止まらない。(色々立て込んで来ていて、それから逃避したい気持ちが本への没頭にも繋がってるのも否定できない。)

改めて読んでみると、映画版はちょっとイメージが違う。
原作者がどう思ってるか分からないけど、私には微妙だなってとこがある。

それでも読んでる頭の中では映画版のキャラクターで動くし喋る。(笑)

映画版を喜んで観ていた次男坊は本には入り込めなかった。

多分、時代劇の要素がすんなりとは読めなかったんだろうと思う。

見たり聞いたりする分には大丈夫でも一つ一つ言葉で表されても想像が追いつかないから面白いと思うとこまで行かないんだろう。

その点、映像なり漫画なりは便利だと思う。

あとは時代劇的会話のテンポで読めるかどうかもあるかな?

で、私はシリーズ第四弾まで読み進んだんだけど、この刊の一話目はなんとも哀しいくも考えちゃったお話でした。

話の軸になる妖怪は“孤者異”。
名前からしてなんとも哀しいです。

“妖であるから、孤者異は平素、人とはまじわらない。だが、己と同じ妖にも受け入れられない。孤者異は孤者異として生まれた初めから、その存在そのものが、他の者からはじき出されていたのだ。”とはやっぱり哀しい。

「孤者異と言う妖は、妄念と執着の塊なんですよ。元々そういうものなんです。孤者異のことは御仏でさえ、呆れて嫌うと言われています。」とメインキャラクターの一人の仁吉。

「恐ろしい思いをしたときなど、怖い、と言ったりするでしょう?それはあの孤者異から出た言葉だと聞いたことがあります」
「そう…孤者異は大層可哀相な生まれということになりましょう。人の目から見たらなおさらに」

関わると不幸の三つや四つが降ってくるのは当たり前。さらには関わった者の周りにも災難が及ぶというとんでもない妖怪。

「孤者異も、長く長く不幸と共にいすぎたのかもしれません。とにかく何とか救って欲しいと思うから、死にものぐるいで相手にすがりついてしまう。水練の出来ない者が川で舟から落ちると、助けに飛び込んだ船頭にしがみついて、二人とも泳げなくなり溺れることがあると言います。似ているのかもしれませんね」と仁吉。

孤者異によって巻き起こるエピソードが落ち着いた後のラスト。
主人公の若だんなが何とか孤者異を救おうと招き入れるのに、他の妖達と仲良くなるために耳に痛い事を言われても初めは辛抱するように言い含めるのに、孤者異は「なんで皆、おいらに優しくしてくれないんだ!我慢なんて嫌なこった。酷いよ。」と怒りをぶつける。
若だんなは善の塊みたいな人なので、そんな悪態をつかれても捻くれ妖怪を気遣うけれど、普通、怒るよね。
自分には落ち度は何も無い!の一点張りは。

誤解があったとしても「それ誤解です」って言われたって「ああそうですか」とはなかなかいくもんじゃないし。

孤者異の起こした騒動が人間の欲や弱さをついたのが原因だとしても、それを誤解として説明してみせる事すら拒絶されたら事は好転しませんて。

たまにうちの次男坊が、孤者異のように聞く耳を持てなくなるのに手を焼きます。
絶対引かない妖怪と違ってコロッと「あ、そうなん?ゴメン、ゴメン!」って事もありますが、それはそれで「なんだコイツ、調子よすぎだろ!」と反感を買う事だってあります。
ムカついてもなんとか一旦停止して、物の道理を確かめて、余計な摩擦を起こさないで済むようになって欲しいです。

誤解が誤解を読んで二次障害の被害妄想にとりつかれてしまう発達障害者は少なくないんじゃないかと思います。(ひょっとしたら、昔昔のそんな人が根本にある認識や常識のズレが理解されずに妖怪“コワイ”として認定されたのかも!?)

多勢に無勢とも長い物には巻かれろとも違うんだけど、そこでも譲らず「なんだい!皆して!」じゃ、そりゃつまはじきにされますって。
人と違う事が何が何でも悪いというわけではないけど、そこは単純に嫌がられるんだと割り切って自分を変える必要も出てくるんですよね。
誰か一人だけ我慢すれば良いってのも違いますし。
何を基準にするかが難しいところもあります。

何はともあれ、先ずは冷静に。しかないですかね。

学期末

2011年12月20日 00時56分44秒 | モブログ
懇談会です。


うちのコは

一、オベンキョーができない
二、集団行動が苦手
三、生活習慣にモンダイ有
四、体力、持久力が無い
五、変わり者

いわゆる不良ではないけれど、困った生徒なので、懇談はお小言が付き物だ。

それぞれちょっと大きくなったので、自己責任も問われ出して私に対してのお叱りは減少傾向ではある。

オベンキョーができなくて、どこが解らないのかきかれても、「何が解らないのが判らない」だから質問しようにも何を質問すればいいのか分からないという、教える方も神的にさっしが良くないと馬の耳に念仏だし、教わる側は教えてもらう準備ができてない(できない)。

学校なんだから学んで成績を出さなきゃならんのだがね…。

長男はなぜだかたまたま2学期後半のテストの点が良くて、欠点を取らずにすんだので補習も無く、お小言も無し。
簡単な問題で学年全体に高得点だったのかと思ったけど、そういうわけでもないそうで、学年でもかなりいい成績の科目もあってほめていただけたりもした。
が、何故成績が良かったか本人にもわからないという事を伝えたら、さすがに担任ガックリしてらした。

とりあえず留年はなさそう…かな?
でも3学期の成績が悪ければ来年度はクラスがまた落ちるかな…。(1組から進学コースで専門別なんじゃないかと思うんですが、後ろ半分は成績順ならしい。)

さて、波風はほとんど立てない長男はよしとして…次男だよ…。

つい最近もまた波が立ったばかりで、「懇談で詳しくお話させて頂こうと思ってます。最後の枠を取らせて頂いてますんで、ゆっくり。」
しえーっ;

ええ、懇談終わった時には日もとっぷり暮れ、運動部の終わりの声が響いてましたわ。

波は先生の指導と本人達の和解で収まったそうで、電話でも繰り返された「人権に関わる事なので厳っしく指導しました」を再び聞かされた。

まだ3学期があるのに来年度の相談が話題に上げられたのは2学期の成績から受験も視野に入れて支援学級への登録を考慮するためでした。

支援学級は特別で、教員の配置が生徒の人数と能力によって変わってくるけれど、公立中学という事もあって前もっての申請が必要なのだという事だった。

今までも何度も水を向けられた話ではあったのだけど、本人が拒否してきた。
けど今回、成績のバラつきが酷くなってこのまま放っておくのはどうか?となった。

昔と違って部分支援の取り組みもされているのでとりあえずそこからという事に。

中学入学からの月日で精神面(摩擦が起きた時の対応など)での成長も見られるとの事で成績面で落ち着いてじっくり課題に取り組める環境があればもっと学力をつけられるかも?という配慮だ。

懇談の前に本人が面談したカウンセラーの印象では現段階ではADHDより自閉症の傾向が強いとの事で、これも精神面での成長が影響しているのかもしれない。

夏休み前に私が面談してから随分かかってしまった。
また3学期に今後の対応の相談にカウンセリングを設定してもらえるようにお願いして懇談終了。


いやあ、お小言無しの懇談…なんか変な感じ。(笑)


さあ、次は年内最後の病院ですよー!

課題、全~くこなせてませんからねぇ;
どうなるかなあ…;
場合によっては冬休み合宿?は無いか、短いし、年末年始かむし。

ま、ごまかしたって仕方ないのでここはおとなしくお小言を頂戴するつもりで行こう。