有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

星に願いを

2011年08月22日 13時46分04秒 | モブログ
流れ星が流れている間に願い事を3回唱えると叶う。

いやー、10年ほど前に見た流星群の大当たりでもせいぜい「金!金!金!」って唱えるので精一杯って感じでしたからねー。
それじゃ何をお願いしてんのか判りませんよね。(笑)

カネクレ。

いや、次男坊の病院の行き来の出費がねー。
電車は後払いのカード利用で今要るんじゃあないけどね。

おっと、金ではなく星の話でした。(笑)

こどもと流星群を見るという楽しみ以来、偶然ではなく、流れ星、それと惑星に人工衛星を見るって遊びも知った。

こどもの頃、宿題で星の観察が出て、星座盤とにらめっこしながら夜空を見上げたものの、オリオンすら見つけられなかったマヌケな私。

星座盤の見方が悪かったのと、盤と夜空の比率もうまく掴めず、おそらく星座盤には印されない惑星の存在に混乱したんだと今にして思う。

普通の星座盤には惑星の運行は印されない。
それは違う動き方だから。

太陽系の内と外、その位置関係で惑星はただ日ごとに動くのが一方向には見えないんだって、地球から見ると他の星は進むのに後戻りしているように見える。
だから惑い星。

星の観察を宿題に出す時、先生は星座盤に載ってない星の存在とその時期に見える位置を教えてくれたのかな?
生徒が気付くように仕向けてたのかな?

私はボケッとしてるから聞いてなかったか、聞いてもピンとこなくて脳みそのメモリーに記録されなかったのかも。

金星は地球から近くて太陽側だから?明るくて「明けの明星」とか一番星「宵の明星」として親しまれてるけど、私が金星と認識したのはごく最近だ。

そして太陽から遠く、地球との間に火星もあるのに巨大でその存在を煌々と夜空に光らせる木星をそれと把握したのもここ数年。

運行が違うだけでなく他の星々がチカチカ瞬くのに、惑星は瞬かない。

人工衛星も瞬かないし、飛行機のような複数の色を点滅させたりもしない。
ただし、姿勢やパネル(太陽電池とか調査用のやらなんやかや色々取り付けられてるらしい)の向きを変えたりした時に太陽光の反射の具合が変わって強く光ったように見えたりするらしい。

で、次男坊の付き添い中、暇な時間にケータイであちこちサイトをウロウロしていて見付けたキーワードが「衛星フレア」。

もう随分前、私は不思議な光を見たのですが、その正体は不明でした。
でも多分この衛星フレアってやつだったんじゃないかと思う。

どこに行こうとしてたのか、誰と居たか、思い出せないんだけど、夜、出掛けた時の事。

狭い路地に入ったら、頭の真上をとてもとても明るい光の塊が音も無く横切った。

飛行機だとしたら墜落したんじゃないかって大きさの光。
でも無音。

一瞬の出来事で、光量からも雲にサーチライトとかが映ったわけでもない。

すぐさま引き返した。
すぐそこで光の向かった方向がたんぼで視界が開けるので、夜空にその光を探しに。

でも何も無かった。

多分そこには星空が広がっていたと思われる。

狐につままれたようだった。
今のはなんだ?凄いスピード!凄い明るさ!まさかUFO!?

確かめ方も分からず、そのまま時が過ぎ去り、やっと謎が解けた(と思う)。

その頃、人工衛星が目視できるという事はもう知っていたかもしれない。
けど、それが稀にフレアのように見えたりするなんて露ほどにも知らないから、謎の光が通った後、人工衛星を探すなんて事も思い付かなかった。

いつかそれと知った上で衛星フレアを見てみたいなあ。

買い時

2011年08月21日 23時21分40秒 | モブログ
携帯電話を初めて持ったのは第一子妊娠中だったと思う。

お守りみたいなもんで、あまり活用していなかった。
無くても生活に困る事などなかった。

今や携帯電話依存症です。

初めての携帯電話は安売り(?)ショップのいわゆる0円機種。
こだわりなんかなかった。

その後の携帯電話の購入順はちゃんと覚えてないけど、だんだん好みで選ぶようになっていった。

家族割が無かった頃は学割利用で他社ケー2台を契約して、私の気に入る機種が出るとお古を旦那が引き継ぐ形でauとdocomoを行き来してた。

そのうち私の好みはdocomoのSHでカメラ機能が高性能な物という基準が固定されて来た。

ルックスは1シーズン置きに好みにかなりドンピシャが出る。

だいたい2年で電池が弱ってくるので、買い替え時に好みの新機種が出ると嬉しいんだけど、これは一時期はやたらとニューモデルが出て選び損ねたり、最近は高額になって悩んだりで機種変更のタイミングが難しい。

今使ってるのは1年過ぎた。

これの前は何台かピンクが続いてた。

ある日、近所のお祭り会場で、おばちゃん達が並んでてんでにケータイをいじりながらワイワイやってたんだけど、みんながみんな機種の差、色味の差はあれどピンクのケータイだった。

なんだかげんなりしてしまった。

随分前に黒が欲しかったけど、思うようなのが無くて青を選んだのを思い出し、さらには母の体調が思わしくなくなってきていたので、喪の席で派手なケータイを持ちたく無い気持ちが強くて、次の機種変では黒!
好みの黒が出たら機種変!と決めた。

とは言え本当にいまどきのケータイは高い。
好みのは出たけど、躊躇しまくり。
でも動作が怪しくなってたので、旅行を機に買い替えた。
カメラ機能も充実で、旅の思い出もバッチリパチリ。

それから1年を前に母が他界。

まだまだ喪中なんだけど、憑き物が落ちたみたいにスコンと黒いケータイへのこだわりが消えた。

それからたまたま気に入った機種は私の感覚だとルックスが今のケータイに似ている。
でもSHじゃない。
たまに借りるだけで慣れないせいもあるけど、凄く使いにくいと思っている長男のケータイと同じFだ。

その後出たSHもまあいいんだけど、どうしても気になる、あのケータイ。

悩みに悩んで一度買い時を逃してる。
その時に自分の中でもう少し値段が下がったら買おうと自分にいいきかせた。
けど、月日が経っても値段がこなれる気配が無い。
さらにはだんだん品薄になって来たみたい。

今ならまだ間に合う。

でもなあ。
次男坊の入院で交通費と食費がかさんでるからなあ。

また買い時は来るかなあ。
それともドンピシャなやつが出て来るかなあ。

次男坊が使ってるケータイの電池がヘタって来たし、カメラ機能がついてない事が気に入らないから、私のお下がりでいいからカメラ付きに変えたいって言うから、これがヘバらないうちに入れ替えるのがいいのかなあ。

な~や~む~~。

日曜日

2011年08月21日 11時35分55秒 | モブログ
土曜日は少しだけ外来のフロアに人が居たけど、日曜日は完全にお休みらしく、入院患者とその家族が買い物に行くのと、建物のメンテナンスの人が作業しているだけ。

静かな外来待合室が変な感じ。(笑)

病棟も床掃除は休みで覗くだけの意味不明なトイレ点検とシーツ交換の日らしい。

それでもドクターの回診はあった。

主治医は好きなんだけど、オエライサンらしいちょっと年かさのドクターが微妙にヤナカンジ。

今日は各地で豪雨の予想が出てる様子。
災害が起きませんように。
着替えの入れ替えでの往復で悲惨な事になりませんように。

日頃の行い

2011年08月21日 01時34分40秒 | モブログ
次男坊が入院した。

といっても体質改善の鍵にならないだろうかという処置を含む、なんてことはないもので、私達は初めに主治医が言った「合宿」という表現をよく使う。

約1週間を予定とする入院施設を利用した夏休みのお泊り生活。

初日は問診、測定、麻酔科の説明、入院および手術(次男の場合、切った貼ったは無いんだけど、全身麻酔で手術室を使って処置をする)の説明、術前の造影検査と忙しい。

日頃から夜更かしな上に流星観察以降、明け方にならないと眠らない=昼過ぎまで寝ている奴が朝から出掛けて病院内をあっちへこっちへ動き廻り、お腹にたっぷり造影剤を入れられて、夕方部屋に通されるとしばらくは物珍しさで部屋中ウロウロしていたけれど、夕食を待たずに寝てしまった。

入院時の手続きに時間がかかってしまい、色々スケジュールがずれ込んでいたけど、予定では病院食はおやつからスタートのハズだったらしい。

予定より大幅に遅れて届けられた初日のおやつはアイスクリームとビスケットだった。

それも食べ始めたら次のスケジュールに邪魔されて一時ナースセンターの冷凍庫に預かってもらったりした。

夏休みだからか外来が混んでいて時間が押して、造影検査の後は次男坊がトイレにこもってしまって、どんどん予定が狂って、病棟の看護師さんとしてはやりにくいスタートだった事だろう。

その後も時間のズレは付き物な入院になってしまった。

他の患者さんの都合でお風呂の時間が変わったり、二日目の施術も少し出発が遅れた。

時間以外では術前の絶食時用だか術後の飲水テストに用だかのお茶とミルクが後から届けられたりといったミス?があった。

飲水テストははじめに水と予定表に書かれていたけど、実際は食事等で利用できるお茶だった。で、本来は有るハズだったらしいジュースが無かったそうで、私が絶食時用に用意していたジュースが使われたりした。

入院食はバラエティ豊か。
母が入院していた病院とは雲泥の差。
それでも食が細くて好き嫌いの激しい次男坊は完食には程遠い。

もったいないから残飯整理したいところだけど、病室内での付き添いや見舞いの人の飲食は禁止されているのでそのまま廃棄となる。

…談話室に持ち出してもダメ?…きく勇気無いけど~(笑)

一日一回の処置以外はゴロゴロして院内レンタルのDVD鑑賞に読書と好き放題の次男坊。
読むなら課題図書も読めよー!

土日を跨いでの入院。
外泊許可を取った患者さんも多いのか、静かな土曜の夜です。
基本こども専門の病院なので、大半が柵付きベッドで、患者はトイレに行くのにも柵を下げ(開け)てもらうためにナースコールしなければいけません。
うちは私が付き添っているので呼びませんが、場合によってはトイレ関係は看護師さんに確認してもらう必要が有ります。

心配された宵っ張りは不思議とマシです。

家だとおもちゃもいっぱい(病院の持ち込みは3つまでの決まり)だし、ベッドに柵は無いし(もっともこの柵、次男坊はものともせずに越えてベンチに移っちゃいますが)、二段ベッドの下にお兄ちゃんも居るし、気が散りやすいADHDっ子としては病院の方が眠るにはいいんでしょう。

って事は私も居ない方が早く眠れるのかな?

消灯過ぎに病院に入った日は常夜灯を明るめにして本を読んでたけど、深夜に入った日は眠ってたな。
時々浅く目覚めて病室を見回したり不安そうでもあったので毎晩付いてるけど、一度看護師さんに任せてみようか…。
試したところで長期の入院じゃないから、意味ないか。

てか、どうも入院当日から高めだった体温がさらに少しだけ上がってきてるんだよな。
このまま具合悪くなっても信頼度の高い病院だから安心?

もちろん処置や施術の技術は高いレベルなんだろうけど、よくある事で衛生面ではICUでもない限り疑問だらけではあります。
これも母の居た病院なんかICUすら物置にしか見えませんでしたけどね。

処置の都合で個室なもんで、病室の窓が結構大きくて、家に居るより遥かに見晴らしが良いので、時々ブラインドを全開にして窓から外を眺めるという普段できない事を楽しんだりもします。

流星群のピークだったらラッキーだったかも。
せめて人工衛星が通らないかなあと初日は次男坊も一生懸命夜空を窓越しに眺めてましたが、不発の上どんどん雲行きが悪くなり街の明かり観察をしています。

ラッキーといえば、次男坊は月一のレア入院食に当たりました。
ま、半分というか白ご飯と汁物しか食べれない日も有るのでトントンかも?

アンラッキーが有ると日頃の行いを反省し、ラッキーは素直に喜ぶ事にしましょう。

まだ数日は病院暮らしの次男坊。
ラッキーがたくさん有るといいね。

火球?

2011年08月13日 23時13分21秒 | モブログ
もうかなりの期間、人とのやり取りを考え過ぎて結局メールとか返事を出し損なう事が増えている。
パソコンのメールはほとんど開きもしない。
もっぱら携帯で連絡を取り合うので友達はたいていそっちに送ってくれる。
もしかして大量のメルマガに埋もれて気付いていないメールが有ったらごめんなさい。

携帯のメールも返事の文面を考えるだけで脳内返信で止まってしまいがち。

適切な言葉が見つからない思い出せないのも一因。

メルマガは返事の必要はそもそも無いから開けず、でも削除もしない(できない)。

でもたまたま昨日はウェザーニュースを開いた。

そこに「ペルセウス座流星群のピーク」とあった。

あんまり期待はしていなかった。

長男がパソコンで調べたのによると、午前3時がピークとなってたらしい。


2時半頃外に出てみた。

薄い雲がかなり多い。
夏はあまり星が冴え冴えとは言えないけど、出現すればペルセウス座流星群は明るい流星になるらしい。

雲の少ないあたりを眺めていると、スッと一筋、ハッキリと流れた。

こども達を呼んでしばらく観測。

が、どんどん雲が広がって断念。

夜明け前、再度外へ。

雲が晴れてる!

こども達も張り切って出て来た。

一筋。
そしてまた…大きい!
明るい流れ星はさらにぼやけた痕を光らせた。

このタイプは初めて見た。

流星雨の時の長く尾を引く明るい流星とも違う正に大気圏に突入して燃えた感じ。

ああいうのを火球っていうのかなあ?

次男坊だけよそ見していて見れなかった。

「お母さんばっかり」と言われたけど、私は「暑い」「首が痛い」「疲れた」「蚊にさされた」なんだかんだ言いながら目線というか視界を外さないように一応気をつけている。

けど、次男坊はそれができないんだよね~。
ADHD度がきついからかな?

ペルセウス座流星群は7月20日から8月20日くらいの長い期間観測できるらしい。

でも沢山流れ続けるわけじゃないから、ちょっと外に出て見てみようかなって程度だと、やっぱりピーク時でもないと目撃するのは難しい。

それでもピーク前後はチャンス。

今日は早い時間に出てみたけど、明るい月と結構大きい人工衛星が見えただけだった。

2011年08月12日 08時28分34秒 | モブログ
生まれた時から親なんて人はもちろんいないけど、こどもを持ったからといって芯から親に成れるわけでもない。

世話をしたり、こどもの幸せを願って心をくだいたり、そうした中で親の恩を改めて感じたり、徐々に親としても成長していく。

現代社会では親の自覚が育たない大人が増えていると言われたりするけど、私の父など自覚が育たないというよりハナから放棄している。

そのくせこどもには親風を吹かせる。

生意気盛りに何度も「親に向かって」と言われた。

“お父様”と尊敬されるような何をしたというのだろう。
チャンチャラ可笑しいぜ。

「誰に食べさせて貰ってると思ってるんや!」
(色々知ってからは「母に」と答えればよかったんだ、と思ってる。)
てか、それ、親の“義務”だし。

そもそもこどもを養える余裕も無いのに作るなよ。

養えてるつもりだったんだろうなあ。
給料は母親に渡して、妻が赤ん坊のミルク代に困ってるなんて聞く耳無かったんだろ。

「こどもが馬鹿で鈍臭いのは母親似。」って誰憚る事無く口にしたし、長男が何やら聞いた事の無い病気だと医者から言われたら「怖くなって逃げた」そうだけど、「聞いて無い!」と夫が相談にも乗ろうとしなかった事で妻がどれほど苦しい思いをしたか。

“父親”の“威厳”にはこだわるけど、“責任”には無頓着だなんて無責任この上無いよ。

母から「そんな話、聞いて無い!」って言われて、それ以上どうしてやる事も出来なかったと弟と自分の行く末と心配する話を聞かされた時は、父の身勝手は都合の悪い事は消去出来る便利な脳みそのせいだと思ってたんだけど、母がもう身動き出来なくなった頃、先々を考えなきゃダメだぞと私が意見したのを素直に「そうやな」とかなんとか否定しなかっので変だなと思ってた。

家を建て替えた後、まさかあの弟に嫁でも貰えるとか考えてるんじゃなかろうな!?って発言も有ったから、今後弟が普通に生活出来る可能性が無いに等しい事実を受け入れる反応にかなり驚いた。

そして母が亡くなり、弟の将来の身の振り方を考えるよう水を向けたら、「怖くなって逃げた私も悪かった。」とカミングアウト!

「も」じゃねぇよ!
諸悪の根源は全部テメェだ!

こどもというのは大抵よっぽどの場合を除いて親に依存して生きている。
そして鳥のヒナが初めて見たものを親だと思い込む習性よろしく、ヒトに親に幻想を抱く。
底に愛があると信じるから命を委ねている、それが根本。

この深い心理に刻まれた想いは、親が親たるに相応しい成長をしていない場合、幻となってしまうのだけど、何しろ深いところに刻まれているのでなかなかこの幻を消す事が出来ず、重い呪縛になってしまったりする。

私は自分の父親がとんでもないチュウボウだと認識するまで、結構仲良くやってた面もある。
それも幻を強くしてしまうんだろう。

それでも流石に色々見聞きして「父親が聞いて呆れるぜ!」というところまでズタズタになった。

馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

家庭内別居を決め込まれても分かってない父。

病気の妻に「金がかかってしゃあない!」と文句を投げつけた父。

自分のペースで介護を押し通して病人にストレスを与え続けた父。

いざ「逃げた」と認めても、ケロリと「で、お前、どこまでしてくれたんや?」と私がサクサク動いていて当然という台詞を吐いた父。

言葉がおかしいのは自閉症型の脳だからだと今は分かるから、突き詰めれば「そんなつもりで言うたんちゃう」に行き着くのが見える。
それでもどうしたって「どこをどうやったらそんな口がきけるんや!?」と思わずにはいられない。

私は根っからサバサバした考え方が出来ないネチネチ人間なので、父親幻想が粉々になった事に言いようの無い哀しみをおぼえてしまう。

粉々を集めてネチネチで固めて父親像を作っている感すらある。

作っては壊し、なんとか父の俺様ワールドに引きずり込まれないように、妙な情に流されて責任を押し付けられないように注意しているってところかも。

あのテは潔く責任を負ったりしない。
無意識に自己防衛を計って勝手にカヤの外に出てしまう。

年老いて妻に先立たれた可哀相な老人に同情してのお言葉を頂く事があるけど、内心「ケッ!」と思ってます。

父の弟妹からだとなおさらことさら「ケッケッケーッ!」です。

どのツラさげてその台詞だ!?

父よ、アンタもそろそろラストステージだ。
逃げた落し前つけて、父親のメンツ見せるチャンスかもよ。

いくつになっても親にとって子は子というけれど、これを都合良く親風吹かせるために使うのはやめて頂きたいところです。

で、人の振り見て我が振り直せ。
いや、私もまだまだですわ。
完全に逃げたりしないけど、要領悪いし体力も根性も無いし。
それでもこども達が私と居てくれるのは「お父さんよりマシ」っていう程度の親幻想かな?

母ちゃん幻想はなるべく早く捨てて、独り立ちしてくれる事を祈るよ。
さみしいけど、それは私自身への報いだろうと思う。

因果応報。世のならい。
母ちゃんで因果が断ち切れて、君達がサバサバ幸せになれますように。

まあ機会が得られれば親になってみるのもいいでしょう。

親になって分かる事もあるし。
(何でもそうだけど、「知ろう」「分かろう」と思って向き合わないとちゃんと自分の中に入って定着しない事って多いですよ。)

まあ親は親でも母性と父性にはどうしたって違いはあるでしょうけどね。

自覚

2011年08月12日 05時11分45秒 | モブログ
こどもの発達障害を初めて言い切ったドクターの説明は一つ一つがとても腑に落ちるとでも言うのがしっくりくる、それまでのドクターとはまるで違ったものだった。

それまでは「こどもなんて(男の子なんて)こんなもんですよ。」とか「お母さん、気にし過ぎですよ。」とか「お母さんが神経質だと反ってこどもに悪影響が出ますよ。」そんな感じ。

でもね、常日頃ちょっと脳の動作がズレた人を身近に生活して来た人には分かる感覚があるんですよ。

私は理論が苦手で感覚で生きているので上手く説明出来ないから、よく「困っている事を具体的にあげてください。」と言われる事に困ってしまいます。

上手く話を引き出して下さる方や、こどもを鋭く観察してくれる方は少ない。

私の説明はフニャフニャだし、こどもは知的障害には当て嵌まらないので、「躾が悪い。」に落ちつき易いパターン。

ええ。確かに私は“躾”ができません。
きちんとした人がきちんと育てれば、おそらくかなり楽に育った事でしょう。

ところが親子揃って発達障害だと取りこぼしは多いし、失敗は増えるし、しどろもどろでてんやわんやでひっちゃかめっちゃかになっちゃうんです。

こんな自分でもどうにかなるようになるだろうと思ってこどもを産んだけど、自分もそうだとハッキリ分類が自覚出来てたら、こどもを持とうとは思わなかったかもしれないし、思っても対策を先に立てられたかもしれない。

それと、次男誕生までは平和に暮らしてたんだよね。

後に「典型的」と言われる事になる長男の手の掛から無さ、可も無く不可も無い普通のサラリーマン家庭で専業主婦。

ところが夫の障害発覚で生活は一変。
ひっくり返ってしまった。

色んな悪いところ、弱いところがはみ出し転がり出て収拾がつかなくなった。

鬱になった。
でも病気そのものだけでなく重度障害という現実を突き付けられて茫然自失の夫の前で、幼いこどももいる状況で、完全に倒れる事は許されなかった。

母の力を借りてなんとか日々をやり過ごした。
まだ赤ん坊だった次男は心を少し閉ざしたような、長男の時とは違う違和感が目立つようになっていった。

まず表情が乏しい。
笑わないわけではないけど、たいてい口をへの字に結んでムスッとしている。

長男が喜んだ童謡も絵本も手遊びもほとんど興味を示さない。

抱っこもあんまり好きじゃない。

少し大きくなると手を繋ぐのも嫌がった。

手を振り払われるのは傷つく暇など無く、いつ事故に遭うかとハラハラし通し。

視覚障害を自覚した事で夫にも手が掛かるようになっていった。

二人目誕生に際する長男の赤ちゃん返りにも気を配らなければいけない。

そんなこんなで私は千々に乱れてしまったんだと思う。

そしてそれは元々持っていたADHD気質を激化させてしまったんだと分析する。

次男の自閉症?な様子も元々持って生まれた特性なんだと思う。

でも始めは生まれてすぐ24時間ほとんどぶっ通しで、紙おむつ一枚で、まだよく見えてはいないとはいえ目を塞がれ、紫外線療法という名目で、保育器の中に放置されていたからだと考えていた。
(今も特性の悪い部分を引き出す要因にはなったんじゃないかと思っている。)

そして、甘やかし可愛がってくれるとはいえ、自分だけ祖父母にしょっちゅう預けられているというのは次男を少なからず傷つけたんだろうと思う。

悪い事って重なる時には重なるもんなんだよね。

そんなこんなはトラウマになってそこかしこに影を落としてるんだろう。

実は転んだまま立ち上がれてない私だけど、こどもが発達障害に引っ掛かるという認識が出来て以来、自分の特性の観察と分析も再考察出来て随分たすかった。
転んで砂に顔を突っ込んで窒息しかけてたのから、顔を出すくらいには。

砂をはらって、立ち上がるにはまだ時間がかかりそうだし、残りの人生でまた歩き出せるかどうか自信は無いけど、今の自分を自覚出来る(出来てるつもり)。

まだブラックホールの中かもしれないけど、私がいて、こども達がいて、ささやかな幸せに笑えたりしてる。

自覚するって大事。
知ってて無視したりすればしっぺ返しにあうだろうし、気付かないているのはやみくもになる。

自分の気持ちとこどもの笑顔を見失いたくないから、自分の特性との折り合いも含めて発達障害と向き合いたい。

感性優位なくせに妙に理屈っぽい自分にも手を焼くけど、単に自分は変わり者だという自覚から私はADHDの傾向が強いのだという自覚になれたのはとても良い展開だと思うので、こども達にも自覚する事で歩きやすくなって欲しいと望みます。

それでも「親がことさら口にするのは、こどもを洗脳するようなものだ。」とか「免罪符を振りかざしてズルイ。」とか「親にそんなレッテルを貼られるなんて、こどもがかわいそう。」とか言う人は居るでしょう。

体験していない事を想像するのは難しい事だし、同じ体験をしても同じ感想を得るとは限らないので、どこまで行っても“人それぞれ”なんでしょう。

私は私なりに砂に埋まりながら未来を見るようにします。

そんなある日の夕飯は

2011年08月11日 20時21分32秒 | モブログ
こどもが買って来てくれたお弁当。
なんだかんだ言ってこういうフォローをして貰える事に感謝。


昼にお味噌汁作ろうと鍋を見たら、暑さでダシがダメになってた;

ヨタヨタ起きたのに脱力。


ダシは前日の冷シャブをした豚さんだった。
火の入れ方が甘かったか。


冷シャブと言ってもただ薄切り肉を茹でただけ。


考えるのも作業をするのもしんどかったので、
野菜=錦糸瓜のそうめん(そうめんかぼちゃ)
肉=トンシャブ
主食=そうめん
で、つけ汁で完了という超シンプル、超手抜きな夕飯でした。


茹でた錦糸瓜をそうめん状にほぐすのはほとんど長男が面白がってやってくれました。

テレビで見た錦糸瓜のそうめんは番組の放送時間の都合でカットされていたのかほぐして盛り付けって感じだったと思うんだけど、瓜に付いてた説明書にはほぐしたらさらにゆすいでしぼるって書いて有った。
でも軽くしぼるのはともかく、洗ったり強くしぼると風味を逃してしまうような…。

されに説明書では皮を削ぎ落としてから煮るって書いて有ったけど、テレビでは輪切りのまま茹でたら皮の際まできれいに手でほぐせてたのでそっちを採用しました。

どちらにも茹で時間は明記されていなかったので、実に透明感が出て来るまで茹でました。

出来上がりはシャキシャキで食感は大根のツマみたい。
味はほとんど無し…。
暑さで不作だって影響?
熟し加減?(二つ割りで届いたから追熟はさせられない状態だった。)
調理ミスかなあ。
単にハズレの個体だったのかな?
もっとカボチャの味がするのかと思ってた。

初めて買った今回は、名前通りの錦糸状態を見たかったのでそうめんにしたけど、次は煮物とかしてみたいなあ。

面白いし、手軽(輪切りにするのは結構力が要るけど)だし、さっぱり食べやすいし、煮物も絶対美味しいだろうし、どんどん普及して一般的になって欲しい作物です。


さあ今日はなんとか乗り切れたけど、明日は…どうなるかしら;

ちょっとは頑張らないとね。

ゼンマイキレタ

2011年08月11日 19時00分16秒 | モブログ
今週前半は仕事が凝縮してしまい暑さ以外に頭から湯気が出そうだった。

ある日は市役所の中を行ったり来たりで色んな事が頭と心になだれ込む感じにテンションがおかしくなってたと思う。

ある日は母の法事で集まった父方の親戚のダメ出しにうんざりぐったりした後で用事を済ませるために人混みの街に出てヘロヘロに。

さらには次男坊掛かり付けのちょっと遠い病院に書類を渡しにヨタヨタ出掛け、月の使者来訪と相まって身体が重い重い。

そして今日は時間指定でどうしても掛けなければならない電話を掛ける以外、ぐったり横になっては眠りに引きずり込まれてた。

荷物が重かったせいか、ストレスで胸郭出口症候群が悪化したのか腕は怠いし、時々痺れる。
言葉は噛み噛み。
(ひょっとして脳梗塞とか?;)
お腹はたまに壊しつつもストレスで詰まり気味で苦しい。
(次男坊の体質って私似だな。)
足は軽い筋肉痛で重怠いのが気持ち悪い。

ダメダメな私です。

バランス

2011年08月08日 05時15分01秒 | モブログ
取れて無いんだな。


場合によってはサバサバしてるくらいの口調で話して実は自分に言い聞かせてたり、私自身が一番納得したくない事だったり。

現状と希望がどんどん遠くなるようで不安とか。

現実と理想のギャップが悔しくて原因を自分自身に見つけて自己嫌悪が増幅したり。

決して自分だけに原因だの理由だのが有るわけじゃなくても、どんどん天秤の自分側にオモリを乗せてしまう。

バランスが取れていないってのは脆くなる要因なんだ。
崩れて元に戻すのは
口先の強気は逆効果困難だ。

そうは言っても勝手にスイッチが入るというか、コントロールが効かなくて、これまたビョーキの症状の一つならしい。

人と会ったり出掛けたりした先でオモリを片側に乗せまくりながらも堪え、帰宅したらどっと崩壊する。



次男坊のスクールカウンセリングの事前リサーチで、久しぶりに「お母さん、それだけ色々有って何でそんなに元気なんですか?」と言われた。

考えようによっては失礼な問い掛けだ。

不幸な奴は不幸そうにしとけとでも言うのか?って事にもなる。

まあ今回はちょっと違ったみたいだし、私の現状を伝えたら、「帰ってからバターッてならないで下さいね。」とのお言葉を頂いた。
さすが専門家。バターッとなるって予測がつくのね。
「なります。しょうがないです。」と答えたら、しょうがない事も察しはつくのだろう、もう追及されなかった。
そういう一連の流れは今までで一番専門家としての知識に裏打ちされてるって感じだった。

でもどうして、こどもがカウンセリングを受ける時、事前に保護者の聞き取り調査が行われるのだろう?

先入観を持ってしまわないか?
専門家はその辺のバランスが取れるのか?

感覚優先で生きている傾向の私には、先ず本人に会った印象に注目したい。

上手に仮面を被ってしまう患者(?)もいるだろうけど、滲み出る本質とか、その後の調査で色々剥がされていったりとか無いか?

直感だけでなくて、専門家ならステップを踏む事で相手を丸裸にさえできるんでは?
またそうなるべきでは?

データ収集は大切だし、最終判断が砂時計の砂が真っ直ぐ一点に落ちるように一粒一粒が真実に向かうならいいけれど、結構バラバラとフルイに掛けてるだけの人もいそう。

家庭環境というフルイ。
IQテストというフルイ。
担任教師の意見というフルイ。
色んなフルイに掛けていくのは必要だろうけど、その人の持つフルイの精度で拾われる事、捨てられる事が違う。

できればフルイに規格が有ればいいんだけど、発達障害のそれは未だ統一化されていない。
無論、統一化し難いっていう事も有るけど、規格が無いって事は人それぞれの判断でいかようにも変わってしまうって事だ。

最後にカウンセラーから最新のデータの提出を求められた。
数値は参考にしかならないけど、参考にはなる。
データ取りが嫌なわけではない。
データを取る資格をお持ちなのにスクールカウンセラーとしてはテストを行えないというのが腑に落ちないんですが…。

で、データ取りの場所を相談してたら、とある個人クリニックの名前が上がった。
カウンセラーさん自身が知っているドクターではないけれど、説明が詳しいらしい。

何度か自分でも検索した事が有るからか名前に覚えのあるクリニック。

改めて検索してみたら、以前ひどい扱いを受けたクリニックだった。
(話す事に一生懸命でメモを取らなかっし、情報管理が特に耳からだと苦手な私なので、既に脳内に有った情報と混ざってしまったのかもしれない。
だったら今回に関しては振り出しに戻れた方が別な見解を聞く機会になって有り難いな。)

次男の最新データ採取だけなら一番手間が無いのは掛かり付け病院で再検査に回して貰う事だけど、できれば長男のフォローに繋がると有り難いんだよな。

そして数値が参考になるように、色んな人の見解を聞くのも参考になる。
たまに大ハズレにも出くわすけど。

私自身が偏ってしまわない工夫にもなるはずだ。
ハズレを引いたら悪影響のオモリを乗せられ続けたり、情報というオモリを乗せて貰う以前にただ天秤を揺さぶるだけのような所からは遠ざかるようにするのだ。



聞き取り調査で反芻した過去がそれでなくても鮮明な上に検索してドクターの顔だの建物だのを見て脳内追体験してしまい、参ってしまった。

もっと情報の取捨択一が上手くなりたいよ。

最近ストレスは体調不良にダイレクトに繋がって、これまた自己嫌悪になってしまうくらい能率が落ちてるからなおさら。

そんなこんなを自分の主治医に伝えても「でも薬は飲みたくないんでしょ?」となり、結局愚痴っただけみたいな所に行き着いてしまうんだな。

私の場合、服薬もプレッシャーやストレス。
困ったもんだ。

いっそこの自分の中に有る天秤そのものを粉々に粉砕してしまえたらいいのに。

バランスなんか取るまでも無く、フラット。
ま、有り得ないけど。