有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

ハハノオシエ

2015年07月30日 22時35分26秒 | モブログ
昔、母に言われた事。

「寝る時、肩を冷やしちゃダメ。半袖でいいから、袖の有る物を来て寝なさい。」

どんなに暑くても、タンクトップやキャミソールはダメだと。

確かに肩を出して寝ると怠さが増すような…
でも暑くてつい…

近年の猛暑には閉口です。
いや、閉じてないな、口。

焼けた屋根が蓄熱してるようで、さらに西日が強くて、日が暮れても暑い!
夜中暑い!
地球温暖化をオーブン状態の家で痛感?

子どもの頃はクーラーなんてあんまり使わなかったのになぁ。

結婚した時に借りた部屋は5階建てのハイツのてっぺん。
東西向き、南東の部屋は南にも窓有り。
朝日も夕日もガンガン。
暑かったけど、今ほどでは無かったような…
忘れただけ?若さで乗り切れた?

長男妊娠と同時期に越した部屋はこれまた東西向き。
でもてっぺんではなかったので、屋根が焼ける感じは無し。
それでも寝る前に隣の居間のエアコンをタイマー使い。
夜明け前、空気が蒸れて目が覚めて窓を開け、蝉の大合唱やラジオ体操の爆音に一旦窓を閉め、また開ける。
エアコンは昼を過ぎてから!30℃を超えてから!
でも、隣近所がエアコンを点けると、その室外機の熱風でこちらの室温が上がっちゃうのが悩ましかった。

次に借りた部屋は南北向きの1階。
床下からの湿気が酷かったけど、その分冷やされてもいたのかも。

その後、しばらく平日を過ごした部屋は、2階建ての古いコンクリート住宅で、日中の2階はオーブンだった。
夜になっても熱が残ってて、一晩中起きてて、旦那の枕の保冷剤を時々取り替えて上げてた。
山沿いを開発したニュータウンの一画だったから、夜の風はそれなりに涼しかった気もするけど、コンクリートとアスファルトで固められた地面でそれも半減してたかな?
それでも少しは涼やかな午前中の風で眠ってた。

今の住処、ホントに熱い。
この夏、既に朝から30℃超えが普通。
気付いたら汗でグッショリ。
窓を開ければ風は通るけど、熱風。
ついついエアコンを点けてしまう。

次の電気代が怖い。

汗でグッショリになるんだったら、マッパでもええんでないの?
そんな気になるんですよ。

今日は通り雨があったけど、西に傾いたお日様がガンガン照ってて、大粒の雨がバラバラっと降っても熱は下がらなかった。
外気は一旦少しは下がったかもしれないけど、窓から吹き込んだ風は生温かった。

今時、掃き出し窓全開で寝るのは物騒な気がするし、今夜もエアコン頼りかな。

ティーシャツ着て寝ることにしましょうかね。

新しい1年

2015年07月24日 00時02分34秒 | モブログ
子どもの頃、繰り返し見た苦しい夢。
押し潰されて息が出来なくなる夢。
大人になって、母から色々聞くうちに、あれは生まれた時の記憶なのだと思うようになった。

母は予定日の1ヶ月前に破水して、遠い産院までタクシーを乗り継いで向かい、全身麻酔の吸引分娩で私を産んだ。
産院に着いた時には既にほとんど羊水が残っておらず、お腹の皮が赤ん坊の形になってたとか。
そりゃ、押し潰されるわ(笑)
手術室の眩しいライトを仰向けに見上げるシーンもよく夢に見た。
生まれたての赤ん坊はほんの少しの間だけ視界がクリアだという説があるから、それもその時の記憶が見せたのかも。

カウンターがゼロにセットされた日の記憶。

来年、50の誕生日を迎えるまでに、生まれたH県T市を歩いてみたい。

母は退院して少しの間、H県N市で過ごしたはずだ。
滞在先のお屋敷は今はもう無い。
T市の産院ももう無いんだろうな。

床上げ後、他界するまでの40数年を母はここで我慢に我慢を重ねて暮らしたんだ。

母が亡くなり、父が亡くなり、私が帰って来た。

母にとっては辛い土地だったろうし、私にとってもそうなんだけど、色々な刷り込みと情念で、そのまま残っていて欲しいとは思わずにいられないここに、居る。

居るためにまた積む思い。

Kではなく、Mとして。