有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

母の味

2011年12月02日 23時11分05秒 | モブログ
時々次男坊から文句を言われる。
「お母さん、なんで作り方聞いとけへんかったん?」
はあ、すまんのう。母さんが作ってもうまくできんし、母さんの母さんは作るのはうまいけど教えるのは苦手だったもんでねぇ。

そして母は料理上手であると同時にかなりのおっちょこちょいでもあるので、失敗も実はいっぱいだった。
従兄なんて塩入りコーヒー出された経験有りだからなあ。

とは言っても基本料理上手だったのは身贔屓だけじゃないと思う。

私の友達の中には一時期マイ梅干しをうちの冷蔵庫に常備するくらい食事に来ていた。(その頃の実家の梅干しは自宅で漬けた普通の梅干しで、その友達は市販の鰹梅を好んでたので彼女のために常備していた。)

それよりもっと前には私のお弁当のきんぴらごぼうを楽しみにしてくれている友達がいたりした。

ずっと後には結婚した頃営業職であちこち一膳飯屋を食べ歩いた夫は「お義母さんが店やったら繁盛間違い無しですよ。」としょっちゅう焚きつけようとしていた。

母は自分でお店を出す事は無かったけど、近くのスーパーの社員食堂で少しの間だけ働いていた。

一人で切り盛りして、スーパーの売り場から下げられた生鮮食品で好きなように献立を考えて社員に提供する仕事はやり甲斐もあり、一番楽しい仕事だったと母は言っていた。

気ままな一膳めし屋は確かに天職になってたかもしれない。

そんな母にも苦手はあって、三角おにぎりと小判型コロッケは作れなくて、どっちも俵型だった。

叔母の家に行ってお肉屋さんの小判型コロッケを初めて見た時はカルチャーショックだった。(といっても良く覚えてはいないんだけど。)

それと母はメレンゲを立てられない(と言っていた)。
私がお菓子を作ろうとメレンゲを立てると感心してた。(笑)
私はお抹茶に茶せんで泡を立てられないので難無くそれをこなす母の方が凄いと思った。


母の料理上手のおかげで私は姑に大きな顔をされずに済むというご利益も得た。
郷土料理(?)以外は。

夫の実家に行った時、「あんたに魚のおろし方、教えてやらんといかんね。」と言った姑がハッとして「あんたのお母さん料理上手やったね。余計な事言ったと。」と勝手に前言撤回してた。
(ちなみにおそらく魚のさばき方は舅の方が上手だったんではないかと推測する。)
でも別の日、「あんたに○○煮の作り方、教えといてやらんといかんね。」と言ったのは撤回しなかった。教えてもらう機会には会わなかったけど。
でも御子息の好物の煮物だけど特別な気配など無かったっすよ?
小芋とぶつ切り鶏肉のぐっちゃ煮に見えました。私はちょっとあれは…。教えるなら御子息に直伝なさればよろしいのでは?と、今は思います。当時は単に「教えて要らね。」と思ったけど。

まあ夫が「我が家の味を覚えろ」ってタイプでは無かっのも助かりましたね。

ある日夫が「おかあさんの○○料理が食べたいなあ。」と言ったので「帰って食べさせてもらってくれば?」と言ったら「お前のお母さんの料理じゃ!」と怒られた事がある。
なんだったかな?鶏もものオーブン焼きだったかな?
じゃ、と出せる料理ではなかった。下ごしらえとか。

叔母(父の妹)の旦那さんは母の肉じゃがの大ファンだったし、母の作る料理の特定のメニューにはまる人もいたようだ。

そして基本、母の手料理で育った私はそれを習わなかった事を後悔している…のは半分。
だって習ったとしても絶対同じようにはできないもん。

だからあれは残念だけど口福な思い出。それでいいのだ。

再現したくなって試行錯誤するのも楽しいかもしれないし、違ってがっかりしても新しい美味しさに会えるかもしれない。それまたいいのだ。