有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

o(T△T=T△T)o

2014年10月24日 19時06分49秒 | モブログ
郵便局に行った。
普通の窓口は業務終了の時間になってしまってたので、少し足を伸ばして取り纏めの局まで行った。

小包を送りたかったのだけど、料金がわからないので、量ってもらわねばならない。
物は後は封をするだけなんだけど、ガムテープを実家に持って行ってしまってるので、料金がわかったら一旦持ち帰って封をして、切手を選んで再度持ち込もうと思っていたんだけど、窓口の人が親切にテープを下さった。

そこまでは良かったんだけど、封をしたんだからそのまま出す事になって、その場で切手を選ぶ形になった。

数字にめっぽう弱い私の事である、金額がまちまちの切手の組み合わせでプチパニック。
局員さんが計算機を貸して下さったので、なんとかかんとか組み合わせを決めて窓口へ。

局員さんが切手を確かめて「10円多いですよ。」
「かまいません。」と答えたら
「そういう訳にはいきません。」
え??そんな風に言われた事無いよ?私、混乱。
「ダメなんですか?」
「ダメです。」
えええ~?どうしよう。きっちりにするには計算し直しか?でも多分割り切れるのは手持ちでは無い。半端の分を買うか…。
せっかく可愛いシール切手で構成しようと思ったのになー。
と、局員さんが、
「箱に貼ってしまっていいですか?だったらかまいませんよ。」と。
へ?始めっからそのつもりですが??「もちろんいいです。」
「すぐ送らなければいけませんか?明日になってもいいですか?」
なんだかイライラさせてしまってたので「急ぎません。」としか答えられませんでした。
ホントはすぐ受け付けて貰っても、予定より遅れてるんだけど、それは自分がチャッチャと支度しておかなかったからだし、仕方無い。

しかし、小包に切手を貼るんじゃなく、代金を切手払いするという発想が無くて目を白黒させちゃったわ。
でも今までそんな風に受け取られた事無かったもんなー。
窓口で記念切手を取り出すと、こちらの意図をすんなり汲んでくれて、オマケにちょうどいい組み合わせになるように○0円切手なら何枚~と教えて下さるのが常だった。
よく行く局は3ヶ所くらいだけど、どこでもそう。
次からは取り纏め局はやめとこう。

貼ってもいいですか?と訊かれたので、「(自分で)貼ります。」と言ったら。
「こちらで貼っておきます。受け付けました。」と。
とっとと帰れって言われてるような気持ちになって、すごすごと郵便局をあとにした有作未でございます。
チーン。

上がって下がって

2014年10月21日 23時49分34秒 | モブログ

ここ数年、ほぼ毎年購入している高島易断の本。

来年の、可愛くなってる~!と喜んで手にしたけど、自分の星回りを見てブルーに。

来年にあるだろう事を考えると気が重い。
もともと重かったけど、ますます。

今から巻くのは無理だろうなあ。
スケジュール的に忙しい時期に入るから、年内に大まかに、年明けてから本決めって言われたもんなあ。

はあ…一人で動くのにはビビりもあったし、妹への遠慮もあった。
でも、できる事もあったのでは?
そしたら年内にメドがたったのでは?と、たられば考えてしまう。

ぐっと身を屈める年に入ってくんだな。

これまでぐうたらごろごろしてたツケか?
進める所は私なりに頑張って匍匐前進してたつもりなんだけど。
どろどろになってる割には進めてないって感じかも?

踏ん張ろう!

ここんとこ易断読んで無かった。
ちょっと気持ちを引き締めないとね。

ん、10月はもう3分の2過ぎたけど、「自分一人で切り回しをする意識ではなく…」となってる。
皆で頑張る時期なのね。

やっぱりでしゃばるのは良くないんだね。
こつこつ雑用に精出そう。

笑わせてもらった!

2014年10月19日 20時58分09秒 | モブログ
おもしろい!!

うちの長男はこの手の「男の子」からは規格外だったので、共感としては低いんだけど、それでも「男の子だけのお母さんは…」と白い目で斜めに眺める人から見れば、私もこっち側である事は間違いない。(笑)

でも、涙が出るほど笑わせて貰っても、頭痛は消えてくれなかった…。
天気がもう下り坂に差し掛かったのかな?

昨日今日はお祭りに行けなくて残念だった。
子どもたちのノリが悪かったので出掛けそびれたんだけど、子どもの年を考えると、母親に付き合ってくれるのは激レアな話なんだよなーと、理性では当たり前と思ってる。

男の子、つまんなーい!(笑)

でも、女の子が居たとして、親子と言えども相性ってあるからね。
合わないとお互いに辛い。
そこんとこ、同性はよりキツいと思う。

ま、私が男の子の母親なのは天の采配なんでせう。

ふりかえってみる

2014年10月17日 23時41分17秒 | モブログ
「困った子は困っている子」という本を借りた。

以下、第1章から抜粋

「軽度発達障害」というと、「軽いもの」と見られがちですが、決してそうではありません。子どもたちは、わかってもらえない、理解してもらえない苦しさ、つらさをかかえて過ごしています。「できない」ことを「できるはず」と見られ、「なぜあなたはできないのか」と否定的評価を繰り返し受け、自尊感情や自己肯定感を低めてしまっているのです。(略)
できるだけ早い時期に、周囲の大人たちが気づき、その子に合った形の支援・指導を考えていくことが大事だと思います。教師も親も、まわりの大人たちや子どもたちも、そうした理解にもとづいて対応していくことができれば、一番いいことだと思います。医師の診断を求めるのはそのためです。「障害」というレッテルを貼るためではありません。親も、初めは、自分の子育てに原因があるのではないかと自分を責めてしまいます。本人にとっても、親にとっても、正しい理解が大切です。

************

私がきちんと読みきったのは、この(一)だけでした。m(__)m
まあこの本は学校の先生とかが読まれるべき本ですしね~。

この始めの方の一文は私にとって、重要な事が濃縮されています。
自分自身の過去にも、育児にも。
「やればできる」と言われ続けた重たい日々。
「そんなに自分の子どもを特別扱いしてもらいたいのか」と軽蔑の眼差しを向けられた事。
「そんなレッテルを貼って、子どもがかわいそう」と酷い母親扱いされた事。
「躾なおしてから来い」と“専門家”に言われた事もある。
子どもの父親すらまともに取り合おうとせず(絶対あの人も発達障害だ)孤独だったなあ。

今は専門家のサポートも受けられるし、ありがたいと思える事がたくさんあるけど、一般的な理解と言うと、まだまだだと思う。
見えない障害の辛いところでもあるだろうけど。

でもね、この発達障害って、軽度より軽く持ってる人は多いと思う。
困ったさんでもまわりに保護されて来て自分自身は困った経験が少ない人や、人を困らせてても全然気にならないタイプの人も含めて。
そして、発達障害傾向が無い、あるいは殆ど無い人よりも、傾向はあるのに自分自身は困ってない人の方がキツかったりする。
そういう人みたいに強くなれれば楽かもしれないけど、そういう人を好きになれないので、そうはなりたくないと思う。

迷惑を掛けて平気なわけではない。
掛けちゃっても仕方無いと開き直って図太く生きたいのでもない。
でも、「できません」と言っても「このくらいできる」と無茶振りされるのは本当に困るし辛い。
結局迷惑掛けて嫌味言われたりするとやさぐれた気持ちになる。

障害との付き合い方ってデリケートです。