有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

ナメとんのか??

2011年12月03日 08時24分38秒 | モブログ
「本人から聞いてくれはりました?」何をやねん?
「月曜は帰りが遅くなるって聞きましたけど?」
「月曜?ああ、そうじゃなくて、懇談の時間なんですけど云々。」
それって普通プリント配るよね?
なんで口頭伝達?
まあ電話で私にも直接伝えてくれたんだからいいけども。

「それともう一つ。」
またチビはトラブルを起こしたらしい。
おとなしくはいはい聞いてたら
「で、その時頭にたんこぶできたんですよ~。背中も打ったみたいなんで見てやって下さい。」

電話の時刻は午後7時。
見て?具合悪かったらどうすんの?
この前は自宅に連れ帰って町医者の午後診を待ったけど、もう終わってるじゃん。
たいしたことないって責任持てるんだろうな?…と、言った方が良かったんだろうか?

懇談では来年度の相談もあるそうだ。
次男坊の様子によるけど、学年が変わる度に一から話さなきゃいけないこととか、本人の学校での変化とか考えるとずっと通しで見てくれるのがいいって前に言ったけど撤回させてくれ。
アンタじゃ無理だ。
前に居た学校で支援の方を担当したようなこと言ってたけど、長男の小学校の時の普通クラスで使えなくて支援に回された教師の例もあるからなあ…。
分かったつもりは怖いかも。

はあ…。

身贔屓

2011年12月03日 06時45分36秒 | モブログ
全開だよ。
悪いか?
かわいいこどもだもん。
おバカさんだし、見栄えもしないけど、大事な宝物です。
鼻であしらわれる筋合いはありません。
…迷惑は掛けたかもしれないけど…。



男には外に7人の敵が居るんでしたかしら?

そんなもん、女こどもにも居ますって。

外から隔離して守られてる真正の奥様はどうかわかりませんが。

こないだチラッと観た「告白」怖かったなあ。

こどもを事故でなくすのも勿論辛過ぎるけど、犯罪に巻き込まれるのは…。

犯罪性は無くても明らかに人の手が加えられた場合(責任能力の有無で罪が問えないとか)遺族の悲しみと怒りはやり場が無いだろう。


人を裁くという作業は、難しいと思う。

それは理詰めで割り切らないとやり切れない事かもしれない。

私は感情的な人間だから無理だな。

そのくせクセモノなこどもの肩を全面的に持ってやれてない。

うちの子は忘れっぽいし、長男は妙にお人よしなとこがあるし、逆に次男は猜疑心で刺々になったりするし、何かあって真実を知ろうとするのには私は賢くもないし、忍耐強くもない。

それでもやっぱり身贔屓はするよ。
誰に呆れられても、それぞれが私の宝物です!

放置してるけども。

出来損ないの母ちゃんなりに頑張ってんのよ。

でも言い訳さして貰えばさ、カンペキな人なんていないっしょ?

ベストを尽くして何才がゴールなんてもんでもない。

可能性は未知数。

はたから見れば下らない事でもうちの兄ちゃんがヤカンでお湯を沸かせるようになったのは「よっしゃ!一個クリア!」って思ったし、私が笑顔を教えてやれなかったのか瞬間冷却装置付き(怒りと不快にはあまり利かない装置みたいだったけど)なのか?って様子だったチビは喜怒哀楽がかなり山盛りな時が増えたのは喜ばしいと思う。

だから本当は普通か普通でないかなんて事からは離れてゆる~く暮らせるのがいい。

でもこういう“ちょっと難アリ”なタイプの子等が成れる社会のパーツは見つけにくい世の中になった。

現代みたいに人口過密で高級か薄利多売かみたいな極端さで、生き馬の目を抜く勢いであっちがダメならそっちと激しい競争社会では自分というパーツをうまく嵌め込む事ができる場所を探すのは大変だ。

「告白」で母親から過度の期待を掛けられ、子育てに向いていなかったその母親に置いていかれおかしくなっていくあの子も違った意味で自分を嵌め込む場所に納得出来ては居なかった。

それに引っ掛かって自分もおかしくなっていったあの子も、大事な物を見失ってしまってた。

うちの子が同じように何かを掛け違い自分を狂わせてしまう可能性もある。

あの母親達みたいに私も何かを間違えてるかもしれない。

この先の事なんて神のみぞ知る。
ドラえもんどころかタイムマシーンも未だ無いからね。

だから鼻で笑われようが親バカで行こう。

将来もしかしたら誰でも天才に成れる便利グッズだか薬だか発明されるかもよ?

それどころかうちの子がその産みの親になるなもよ?
何かの偶然の悪戯で。(笑)

言葉の迷宮

2011年12月03日 05時47分24秒 | モブログ
どこにでも在る。
とても分かりやすい道だと思っていたらいつの間にか袋小路で狐につままれたか?って事も起こる。
ごく日常で茶飯事に。

この迷路を作り上げるのは分かりやすい例で言えば方言が上げられる。

ある物を地方によって呼び名が違えばたちまち謎の小道となったりするし、どちらかが謙虚さを欠けば喧嘩になって路地裏炎上の危険もある。


私は昔、クラスメイトに「気色悪い大阪弁喋らんとって!」と言われた事がある。
その時は絶句してしまった。
私が気色悪い喋り方をしたので申し訳無く返す言葉が無かった…わけではない。

自分が使うのは基本、関西弁である。
いつから認識しているかは記憶に無いけど、色んな言語に幼い頃から接していたので世の中種々雑多なイメージが始めにあって、それが当たり前だと身についてはいたように思う。

それは母の田舎の言葉だったり、他の地方から来た隣のおばさんの言葉だったりして、微妙に噛み合わない物を感じる事もあったけど、特別問題にもならなかった。

母は「かってくる」の意味の違いに気付かず舅から怒鳴られた事があると後に私に笑い話のように聞かせてくれた。
舅に「ねぇちゃん、○○かってきてんか。」と言われ、指示された物を「買って」来たら「誰がこうて来い言うた!」と怒られてしまったのだ。
その地域では「かって」は「借って」だったんだけど、よそ者の母には分からなかった。
ちなみに「ねぇちゃん」は親しみをこめた呼称と言えばいいかな?
私の姑だった人は市場に行くと「ねぇちゃん、安いで!こうて(買って)ってや~!」と囃されるのが馴れ馴れしくて腹が立ったと言ってた。

怒っちゃいけません、と言うのは簡単だけど、損害というのはオーバーかもしれないけど、当たり前が当たり前に動かなかった事で思わぬ事になってしまったり、どうしても馴染めない異文化に困り果てたりする事もあるだろう。

これだけ開いた社会なんだもん。

私の使う関西弁は泉州弁に寄ってる。
かなりガラが悪い言葉も使う。
でもクラスメイトが気色悪いと言ったのは泉州弁でもないかもしれない。
大阪弁を大阪府ではなく大阪市でとらえたとしても厳密に分ければ浪花の商売人の使う言葉とそれ以外の人、もっと嫌な分け方をすればセレブの集まりと路地裏の井戸端会議では交わされる言葉は結構な違いがあるんじゃないかな?


一説によると、関西圏外の人が関西人の出身地を特定しようとして、読みが外れた時、大阪人に「京都の方ですか?」あるいは「神戸?」ときいた時、まんざら悪い気はしないって感じになるけど、京都人や神戸っ子に「大阪?」ときくと怒るって調査結果があるとか。
「一緒にせんといて欲しいわ!」って。
(これも同じ文でも京都と大阪ではイントネーション違います。)

あれです。ドラマとかで、現地の人が聞くとなんか変な方言だったりする、あの「気色悪い」だったんだと思います。

私も私で、でも言わないけど、高校に上がって少し集うクラスメイトの地域が広がっただけで、自分の事を「うち」というのを聞いて「初めて実際に使う子を見たわ!」って思ったりしました。

「うち」…自分自身の事ではなく、自分の家や家族単位での事に使いますけどね。


結婚した相手は時々変なイントネーションになるけど、それは両親が九州の人で、家に帰ると九州弁だからでした。

しかし、九州弁と言ってもお父さんは長崎、お母さんは熊本でやっぱり違う所がいっぱいありました。

私が馴染めなかったのは、どうにも上から目線に聞こえるって点でしたが、他にもあちらの言葉を「偉そう」と捉えてしまう地方はあるようで、一時期警官を「オイコラ」といったのは九州(薩摩だったかな?違ってたらすみません。)出身者が多かった警官が、人を呼び止める時に使ったのが「オイコラ」だったからだとか。
「ちょっと」と呼び止めるくらい軽い意味だったそうですが、うーん、偉そうに聞こえるに一票。


高校の先生が修学旅行の下見で信州のスキー場に行ったら、インストラクターが関東の人ばかりで、コースを案内してもらった際、先に滑り降りた一人に「早く降りて来いよ!」と言われて「ムカついた!」と言ったのも理解できないでもありませんでした。
その土産話は爆笑にちょっと同じムカつきを感じた子の嘲笑も混ざってました。

それはこちらの人間には普段縁の無い青春ドラマのような爽やかさで発っせられた台詞で、「気取ってんてちゃうわ!」ってわけです。
多分言った本人は気取ってるつもりはなかったと思います。
私はその先生(岸和田の人だったと記憶してます。)の話っぷりが面白くて単純に笑ってましたけど、そういう些細なつまらない事もどうしても水が合わないとなると、いざこざのきっかけにも成りうるんですよね…。

私も含め、人って………。


郷に入ったら郷に従えって言われても、馴染めず困る文化もありますよね。

その先生、インストラクターに「馬っ鹿だなあ」と言われてまたまた内心ブチ切れだった話も。

うーん、阿呆馬鹿文化って単に東西では区切れなくて、あれですが、オオサカで「アホやなあ」って言ってもそうけなし言葉ではなかったりするんですが、トーキョーでこれをかますと本気でショックを受けられるって聞いた事があります。

で、オオサカ人に「バカ」って言うと怒る人が多い、と。

九州は馬鹿派なんですね。全域じゃないかもしれないけど。
阿呆は使わないっぽい。
なじる時と軽い突っつきも「馬鹿」を使ってたみたい。元夫の実家は。
で、元夫は本気で怒ってる時は「馬鹿!」
ふざけてたりすると「アホやーっ!」でした。
ひょっとして絶妙な使い分け?

まあ現代はテレビのおかげであちこち混ざってる人もいるんじゃないかな?

ただ出来るだけ変だと感じたとしてもファーストコンタクトで攻撃的になるのは避けて頂きたいですね。あと笑うのも。

嬉しい楽しい笑いはいいけど、嘲り笑うのは頂けませんね。

今でも関西外の人には大阪弁ってだけで漫才に聞こえるってのは継続してるんですかね?
東京に腰を据えて関西弁で仕事をする人も増えたように思うんだけど…。

なんつーか、血の気の多い一面のある私は、姑に関西弁を笑われた折々に「九州帰れー!」と心の中で叫んでました。

住めば都とは思えないままだったみたいですから。
お友達も九州出身の人ばかりみたいだったし、兄弟や子は九州にいたり遠くに根を下ろしたり色々だったし。

私?
私は一生のほとんどをこの町で過ごすんだと思います。
単位、町ですわ。(笑)

出生地は違いますし、結婚当初は違う町に住んでましたけど、同じ市内だったし、世間狭っ!(笑)

生まれも育ちも関西で、住んでみたいのは国内なら浅草です。

あの先生ほどではないけど、「スカシやがって」と感じてしまう地方はありますが、東京でも浅草は好き。
東京の下町は大阪の下町よりサバサバしてる気がする。
それも冷たいわけじゃなく。
ほっといて欲しい時はちゃんとほっといてくれそうな感じというか…。
観光地だからか関西弁でも普通に応対してくれるし、こちらとしても理解の難しい方言もなく戸惑わなくて済みますから。

笑われた経験からか言葉の壁に過敏なとこ、ありますかね。