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有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

えーっ!?

2011年05月24日 09時19分59秒 | モブログ
きみちゃん(小林聡美さん)離婚したんだーっ!

んんんんん…。

17年目か………。

誕生日(聡美さん)前日に離婚届け提出…。
まあ、それは単に都合上かもしれないけど。

「小さな違いが積み重なった」って大きいよね。
小さくないんだよね。
その上職業柄、仕事と家庭のバランスが難しいだろうしなあ。
ちっちゃな事が大きな波紋を広げちゃったのかなあ。

小林さんが伸び伸びとお仕事して作品を残してってくれればそれでいいです。嬉しいです。



朝のワイドショー、「三谷幸喜さん・小林聡美さん離婚」の次は「長門裕之さん通夜」でした。

長門さんといえば奥さんの介護の話が出るのは当然なんだけど、うちの父が偉そうに「うん。うん。そうや。」とか自分も妻思いの良い夫のつもりで見ている様子が思い浮かんで勝手にムカついてしまった。

父が財布に昔撮った家族写真を入れているのはなんか見た事が有ったような気もするけど、母の葬儀後改めて見て妹と内心「げーっ」となった。

何家族思いぶってんの!?
完全に自己満足、勘違いだよ。

さらには母の遺影を小さくプリントした物をサービスで貰って嬉しそうに財布に入れてた。
「うげーっ」

ちなみに遺影を選ぶ際、「これがええなと思ってんのが有る」と、コピー用紙にプリントしたものを嬉しそうに持って来て業者さんを困らせた。

イマドキの写真屋の技術ならなんとかなるだろうと言うのだ。

なるかーっ!

それしか無くて時間をかければ作り込めなくもないだろうけど、そんなことそこらの写真屋がするかーっ!
第一葬式に間に合わんわ!

「これ、ええ顔で笑ってるし。」
そやけど、確かにそのウォーキングは楽しかったみたいやし、新聞社主催で写真がホームページにアップされてるらしいって言うて写真嫌いの母が私にホームページからプリントアウトを取って欲しいって言うたやつやけど、問題が違うんじゃ!

私はすっかり忘れてしまってたんだけど、私はコピー用紙と写真用紙みたいなのにもプリントしていた。
で、写真用紙の方が出て来たのを父に見せてしまったら取り込まれていつの間にか切られて財布に収められてた。

そのホームページは何年も前のだからもう削除されていた。

すっかり愛妻家気取りの父はもう一枚写真立て用に欲しいと言い出し、コピー用紙の分の返却を求めてきた。

たいしたことない風景だけど、これまで周りを切り取られるのがなんだか嫌だったので、写真用紙の方を預かってスキャナでコピーしてそれを父に渡した。

父は全く気付かずコピーをホクホク顔で財布にしまい、小さなホルダーに入れていた。

母が見ていたら絶対げんなりしているよ。



「夫婦の事は夫婦にしか分からない」それは確かに真理ではあるだろうけど、母は最後の入院で身の回りの世話を父にしか頼めない現実にそれはそれは落胆していた。
入院までの在宅治療中の生活にしてもだ。

知っていながら見ているしかなかった自分をふがいなく思う。

葬儀の後、あれこれ手分けして片付けていて、時々父が自分の不調をほのめかして関心を引こうとしていても「あっそ」ってな感じでスルーしてた。
「四十九日済んだら入院する。」と言われても「あっそ」だ。

冷たい?
いやいやいや、娘二人に「あっそ」で済まされるんだから、推して知るべしですぜ。

「お父さん気落ちしてるやろうから、時々顔見せたってや。」「元気づけたってや。」なんて優しいお言葉をよそから掛けて頂いても内心「ケッ」。

すんませんね。どうも。



「夫婦は他人」肉親ではないんだよね。
肉親の方が拗れた時ややこしい場合もあるけど。

他人である二人が特別な関係を継続していくには並々ならぬ努力が必要だったり、妥協や諦めや許しが必要なんだよね。
親子がどうしようもなく血で繋がってんのとは違うんだよね。

え?お前はそんなだから離婚したんだ?
そうかもね~。

家族

2011年05月24日 07時21分38秒 | モブログ
「ペットではなく、家族です。」と言う人がいる。

「人間と動物を一緒にするな。」と言う人もいる。

それは色々場面によって変化すると私は思う。

とんでもない話だと思う人もいるだろうけど、私は父が亡くなったとしても昔愛犬を亡くした時よりずっと悲しくないと思う。


夜、デートから帰って、いつものようにご機嫌で迎えてくれた愛犬に挨拶して家に入った。
翌日寝ている私の部屋に母が血相を変えて入って来て、「太郎が死んだ!」と一声叫んだ。
前夜ピンピンしていた犬が?と疑う余地も無く、でも口から出た言葉は「うそ!」で、私は号泣。

ショックでとりあえず1年喪に服して新しい犬は飼わないと決めた。

が、半年で寂しさのあまり犬探し。

妹が「次は私の犬の番!」と言って柴犬を探す。

紆余曲折の末、柴犬ではなく、雑種のブチ犬を迎え、家族から引き離された子犬の不安を考慮して私の部屋で一晩様子を見る事に。

夜泣きされて寂しいのかと思ったらトイレに行きたかったのね、なんてオチ。

一晩預かったけど妹が飼い主。

けど、このコ、亡くなった時一番近くに居たのは私だった。

「もう今日明日だと思うから会いに来てやって。」と母から電話。
妹は前日にお別れを済ませたとの事。

私を見て前足をぴくり。握手。

母がお使いに出るという。
その間、私は室内に。

帰宅した母が「死んでるわ。あんたが来るのを待ってたんやね。」
え?私?

その後も母は犬や猫を見送った。

最後のコは私が拾った茶トラの雄猫で、甘えん坊だった。

毎晩しばらく抱っこしてやらないと寝ないのだと母が苦笑いしていた。

酷い雷雨のよる夜、外に出るのが億劫で放っておいたら翌朝死んでいたのだそうで、母は酷く落ち込んでいた。

なにせそのコは哺乳瓶でミルクをやり、排泄の世話も必要な赤ん坊の頃からの付き合いで、「チョイニャンは長男」なんて言っていた。

長男出産で実家に里子に出したんだけど、噛み癖の抜けない甘えん坊なのに、こどもにシッポを捕まれてもグッと我慢する一面もあった。

初めは赤ん坊との生活が落ち着いたらうちに連れて帰ろうかと思ったりしてたんだけど、実家の方が犬も猫も居て楽しいかとそのままになり、最後の一匹になった。

やっぱり父より離乳食の面倒もみた猫の方がちかしい気持ちだ。

かと言って、うちはペットの火葬とか納骨とかはしていない。

私はこどもの頃、イジメに遭った経験もあり、こどもが嫌いなんだけど、なんだかんだで二人の男の子に恵まれた。

我が子はかわいいもんだ。
寝顔なんかキュンキュンだ。

が、しかし、ムカつく事は毎日起こる。
それもたいてい同じ事の繰り返し。
学習能力は無いのか!?ってくらい繰り返し。
堪忍袋の緒は毎日毎日ブチ切れては結び直す。

猫のいたずらに腹が立つのとはまた次元の違う怒りが噴き出す。

心理の医師とかこどもの世話に携わる人に聞かれたら絶対指導対象だし、虐待として扱われるだろう言葉を投げつけてしまう。
「あんた達を育てるより猫を飼う方が良い!」

半分は責任の重さのプレッシャーです。

こどもはご飯食べさせて遊んで、だけじゃダメですからね。
学校行かせなきゃ社会的に指導入りますからね。

「親」と「飼い主」では責任が違うわけですよね。
当然の事ながら。

「こども」も「ペット」も家族だと思っててもね。
(「ペットじゃありません!私にとっては大切な家族なんです!」とペット不可な店に連れて入ったりはしません。
でもペット不可の団地で乳飲み子の捨て猫を保護してました。)

線引きって難しい事って有るよね。

でも好き嫌いで分けると父より歴代ペットの方を取ります。

ペットとこどもだと…難しい………。
兄ちゃんは一緒に居る歳月がペットを超えたけど、チビより太郎の方が長い付き合いだったわけで…。
ただ、こどもは絶対的に我が身を痛めて産んだ分の愛情が加味されるし、意思の疎通とかコミュニケーションの加点も有るし。

でもでも本当に腹が立つんですよ、何度同じ事で叱ろうが怒ろうが改善されない奴らの行動を見ていると。

なでくり回してご飯やってで済む猫の方が百万倍良いルームメイトなんじゃない?

え?こどもはルームメイトじゃない?ごもっとも。
私が人として成熟してない故の我が儘です。

社会という枠組みの中で生きるのにはルールが有って、私のような能無しでグウタラで我が儘な奴には厳しいのですよ。

あと元旦那が言ってた「家族やろ!」もムカついたなあ。

家族って?家族って?家族って?
なんやねん!

良いもの

2011年05月24日 05時22分43秒 | モブログ
少し前の事になるけど、テレビで戸田恵子さんがアンパンマンのマーチを歌うのを観て涙が溢れた。

とても大人っぽいアレンジで熱唱されていた。

次男が「なんでアンパンマンで!?」と驚いてたけど、アンパンマンだから泣いたわけではもちろんない。

被災地で「勇気が出る歌」として多数リクエストが有り、ラジオ等で頻繁にかけられているそうだけど、その時の私には勇気が出るというより悲しみが涙になって溢れたというのが近い。

「生きる喜び」
このフレーズが胸に刺さった。

母の晩年は生きる苦しみに堪える日々だった。

「生きるってこんなに苦しくて痛いものなんやねぇ。」と言っていた。
それでも「もうちょっと生きていたい。」と力を振り絞っていた。
もちろん生きる喜びが有るからこそだ。


食事ができなくなり、酸素のチューブを付けられた母に「もう少し頑張れる?」ときいた。
母は小さくうなづいた。


危険な状態になって部屋を移る事になった時、看護師さんと電話で話した。

予測不可能な状態だと言われた。

医師に余命を尋ねた時の答も表面的には同じだけど、看護師の説明はとても参考になった。

主治医の「それがいつなのかは分かりませんねぇ。」と情けない曖昧な表情で口ごもるのにはヘドが出そうとはこういう事かとすら思った。

看護師は「突然って事がこういう場合多いんですよ。でも今のような状態のまま一週間とかもっと行くかもしれない。ただ年齢から言うと医療では若い方に入るから、もっと年を取った人ならゆっくり進む事が急になる確率は高いの。だから付き添っていればまだ最期を看取る事ができるかもしれないけど、電話で危ないって言われて駆け付けたんでは間に合わないと思った方がいい。」と説明してくれた。

あまり病院に行けなくなっていて、私は母に心の中で「私が「ただいま。帰ったよ。」って言うまで頑張ってて。」と念じてた。
何か有ったら携帯に電話を貰えるように伝えてはあったんだけど、出掛ける日には妹の携帯に掛けて貰えるようにもした。

で、その日、私には妹から連絡が有った。
父からも有ったけど、こいつは自分の都合しか考えられないやつだから気にしない方が無難だ。
妹も自宅に居て、夜でこども連れだからタクシーを呼ぶと言う。
そういう場合ね打ち合わせも軽くしてあったので、うちに寄ってこどもを拾ってくれるように頼んだ。
私も出先から向かう。
途中、看護師の「間に合わないと思った方がいい」という言葉を噛み締めなが、「ただいま」を言うまで待ってて!と念じ続けた。」

最寄の駅で妹に電話すると「まだ」との事で夜食を調達してから病院に入った。

病室には絶望的な空気が充ちていた。
母は力尽きた顔をしていた。

「ただいま。帰ったよ。待っててくれてありがとう。」と声を掛けた。
母は心電図モニターの波形で応えてくれた。(と私は思っている。)

多分当直医と看護婦長はすでに死亡宣告のタイミングを計っていたんだと思う。

後から妹にきいたら、心電図の波形は時々フラットになっていたらしい。

私が声を掛けた時もフラットになっていた。
けど、直後にしばらく規則的な波形が戻った。
看護師長が「お母さん頑張ってくれてはるわ。」と言った。

母は私が死に目にあえなかったって気に病まないように最後の力を振り絞ってくれたんだと思えてならない。

最後の最後まで私の我が儘をきいてくれたんだ。

何度か「娘がいて良かった。」と言ってくれた母。
その度「いいわねぇ。私にはいないもん。つまんないわ。」とまぜっ返した。

母の生涯にちょっとでも「生きる喜び」の足しになれたのかな?

アンパンマンマーチにこんなに深く考えさせられるとは思ってなかったけど、良いものにはパワーが有るんだろう。