有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

困る

2011年05月11日 13時41分13秒 | モブログ
学校から電話。

次男坊の困ったが発動したらしい。

ざっくり話を聞いて、次男坊の勘違いの確率が高いと直感した。

似たような事例が私にも起こった事が有る。
私の場合、もっと大人に近づいてからだった。
つまり次男坊の世代ではまだまだ個人差が大きい“知恵”が働く年頃。
で、私は被害者だったんだけど、相手が故意にした事なのか知らずにうっかりだったのかは分からない。
犯人探しをしなかったから。

次男坊の場合ももし次男坊の主張が正しければ、私と同じになる。

でも電話をかけてきた担任は頭から次男坊を疑ってるらしいのは口調で分かった。

私が次男坊の勘違いだと思ったのは、その口調に引きずられての事かもしれない。

図らずも私がなにげに「またあの子の勘違いかもしれません。」と言ったら、苦笑いの口調で「そうですね、また勘違いかもしれません。」と復唱された。
これ、気分悪かったです。

結構細かいとこのある担任で、裏を取るためにわざわざ電話をしてくるなど、見ようによっては手厚く指導してくれてるようだけど、ハナから次男坊の言う事を信じるつもりがないのはどうかと思う。

もちろんそう思わせるくらい次男坊は勘違いが多いし、帰宅して私の目で確認したところ、今回も次男坊の勘違いと断定できたのだけど。

社交辞令で親が言う事を真に受けるとは、まだ若いのか…。
現代日本全体がこうなのか…。

で、被害を訴えたという次男坊に聞き合わせをしたところ、担任のニュアンスよりサバサバしている。
時間が経って喉元過ぎたのか?
それもあるだろうな。
もう一つ、多分、周りから見ると次男坊ってオーバーでうるさく感じるのだ。
実はそんなに重大でなくてもオーバーアクションになってしまうのが次男坊なのだ。

それを体で覚えてしまっているからか、多動脳でそれだけにかまってられないからか、私は話半分に聞いてしまい、真面目に主張している次男坊を傷つけたりしてる場合が有るような気がするんだけど、担任の場合、体得したわけではなく、小学校からの申し送りや私の報告から先入観としてそうなってしまってるんじゃないかな。

次男坊は新しい担任が気に入っているので不信感は無い。
身体も小さいけど、心も幼いから。

こういう事が勘違いを含めて度重なって、話を信じてもらえないって方向に進むのが一番怖いかもと思った。

今回の事に関して私が改めて気づいたのは、次男坊がその時によって感覚が変わるのでは?という事。
視覚、触覚が今回のキーポイントか?

誰だって、感覚は気持ちにかなり左右されるけど、次男坊はそれがもっと些細な、時には理由になりそうな原因が無くても、感じ方が変わるのかも。



「これはボクのと違う。誰かがボクのを間違えて持ってった。」

誰かが間違えたのか、感覚が短い間に変化した次男坊の勘違いか、もしかしたら誰かのイタズラかも?

例えば物は同じでも自分が置いたのではない所で見つけたら自分のかどうか判然としない事ってある。
押され押されて位置が変わる事もあるだろうし、見つけ難いようにイタズラする奴もいそうだ。

まあ物に関しては見える所に名前を書く事で自分の物かどうかは分かるから、以降気をつけなくちゃね。

そういえば、通ってる整形外科の靴箱に「靴(特に黒)の間違いが多発しています。目印にクリップをお使い下さい。」って貼紙がしてあるな。
大人は靴に名前を書いたりしないもんね。
お年寄りが半数を超えてるみたいだから、目の悪い人も多いのかな。

クリップをとめた靴を見たことない気もする。

それに借りたクリップでとめてもどれが自分がつけたクリップか分からなくなったりするかも。
見覚えがほとんど無いから。

お気に入りのクリップを持参しる習慣をつけるべきかな。
…!そういえばこどもが小さい時は靴用クリップ持ち歩いてた。
小さい靴はすぐバラけて失くなっちゃうからだったような…。



学校の持ち物は原則、なんでもかんでも記名。
パーツが分かれる物はパーツ毎に記名。
ダサいけど、パッと見えるとこに記名。