“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

去年の今日大変なことに、その15

2005-12-31 21:27:03 | Weblog
去年の今日、昨日退院して一日休んでいたが、会社の業務が滞っているのが気かかりで午後から近くの会社に出向き、社長室で年末調整等の書類作りをした。しかし、夕方になり寒気がしたのですぐに自宅に帰りベットにむぐりこんだがすでに遅し。鼻水が出る。夜8時ごろになると体温38度を超えた。仕事をしたのが無理だった。
 夜、風邪薬を2倍にして飲んだが、一向に体温が下がらない。翌1月元旦朝病院に電話。
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去年の今日大変なことに、その14

2005-12-31 04:34:20 | Weblog
去年の今日(30日)、午前9時30分過ぎに退院の許可が出た。そのときの嬉しさは言葉に表せないほど嬉しかった。Y看護婦さんに精算書を至急作ってもらいたいとお願いし、待っていた。
隣の患者さん(10月から入院しており、12月始めに肝臓の手術をしていた人)が「精算書が来たら金額を教えてもらえないか」とのお願いがあった。
 そういえばここの病院は、入院以来お金の請求は一度もない。普通、入院時に補償預かり金みたいなものを支払うことが多いと聞いていたし、事実、私が若いときに別の病院で痔の手術で入院したときは、保証金を支払ったことを覚えている。
 10時過ぎに請求書をもって来てくれた。金額103万余円。覚悟していた金額であったので別に驚かなかった。隣の患者さんにその旨を知らせたら、びっくりして、「自分は10月末から入院していて、未だ一度も支払っていないので、さあ大変だ と思ったのでしょうか。すぐに自分のものに対して幾らになっているか教えてもらいたいとお願いしていた。まもなく、看護婦さんが持ってきて、56万円あまりと言われ、安心したようだ。肝臓の手術と心臓の手術でこんなに違うものであることも初めて知った。緊急入院であり、集中治療室にいたのが長かったこと等納得出来ることであったが・・・・。
 退院は午後1時過ぎと決め家内にお金を持ってくるように連絡。家内が来て支払いを済ませ、お世話になった集中治療室、内科の看護婦さんたち及び外科の看護婦さんたちにお礼の挨拶をして回り、1時半ごろタクシーで家に帰った。
 入院していて特に印象に残った出来事が二つある。次の機会に話そう。

 今日は、会社の今年度最後の日となった。朝行くともう掃除を始めていた。しばらくすると他所にいた管理人も事務所に来て一緒に手伝いをし、皆で昼食。
一年の締めくくりをして会社を閉め分かれた。
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去年の今日大変なことに、その13

2005-12-29 22:46:22 | Weblog
午後の先生の回診のとき、検査データの数値が下がってきたので明日退院しても良いとの話があった。正月は自宅で過ごすことが出来ることに率直に喜びを表した。
咳をすると未だ胸が痛むが徐々に痛みは取れるとのこと。明日が楽しみ。会社のことも心配していたので本当に嬉しかった。

 
 会社は、明日午前中で正月休みに入るため、事務所の整理で一日を費やす。
田舎からお酒や酒粕がたくさん届き従業員に分ける。
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去年の今日大変なことに、その12

2005-12-28 23:08:52 | Weblog
昨年の今日、日に日に痰も少なくなり、元気が出てきた。未だ声は小声まで。7階病棟の廊下をまわって歩く練習をする。もう前〃日から約20メートル離れた面会所には歩いて出ていた。毎日面会者が来るので、隣のベットにいる患者さんが「お付き合いが広くて。元気付けに来てくれていいね~」と羨ましがられた。見舞いに来てくれた友人たちに、左手の20センチあまりと足の30センチあまりの血管を切り取った患部をホッチキスで止めてあるのを見て皆痛々しく思うらしくびっくりしていた。包帯など何もしていないが傷口は大変きれいなものである。一日おきにシャワーに入っていたので、身体は何とか清潔に保てた。看護婦さんから「何とかの数値が未だ高いが、これが低くなれば場合によっては年末には退院できるかもしれない」と言われ、喜んだのを覚えている。

 今日、手術して1年目の定期健診に病院へ。先月採血した血液検査やレントゲンの結果を聞く。血液検査の結果は、ALP値が正常より低いが他の肝機能の数値が正常なので別に問題ない。その他の数値はすべて正常値に入っているので現在のところ問題なし。前立腺疾患の疑いもない。レントゲンの結果は別に異常がないが、胸の骨を縛っている6個の針金のうち最上部の1本の針金が切れている。これは骨が強い場合に生ずることであり、別に問題ない とのことでした。先生に「1年無事過ごせたのも先生のおかげです。本当にありがとうございました。良いお年をお迎えください」とお礼を述べて退室した。心からお礼を述べられることってこんなに嬉しいことと改めて実感した。
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去年の今日大変なことに、その11

2005-12-23 21:42:53 | Weblog
集中治療室には20日午前までいた。睡眠薬は18日で止める。19日には胸に入っていた管が抜かれる。手術の翌日から引き続き痰が出て取れなくて苦しむ。酸素マスクは外科病棟に移ってもずっと続けられていた。
 20日午前に外科病棟に移動。痰がやや少なくなる。せきをすると痛い。20日首元に入っていた最後の管が抜かれた。手と足の血管を取った場所はホッチキスでとめられているのみで包帯はしない。声はまったく発っせられない。人工心肺を使用したため、声帯が未だ元に戻らないとのこと。先生から3ヶ月ぐらい声が出ない人もいる。いずれは出るようになるとのこと。小声が出てきたので他人とは何とか話せる。22日初めてシャワーに入る。久しぶりなので身体の隅々まで洗っていて長くなったため、看護婦が心配して扉を開けしばらくのぞいていた。ベットに帰るとまた酸素マスクを付けられた。23日未だ痰が出て咳き込むと痛い。でもだいぶよくなってきた。痰で苦しむのは普通一週間ぐらいと聞いていたがやや長いようである。
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去年の今日大変なことに、その10

2005-12-18 22:13:27 | Weblog
バイパス手術後2日目、身体には酸素マスク、首には細い管が刺さっている。胸には二箇所に管が入っている。そして左の手首から上20cmから血管を取り出した跡が、左の足からも約30cmの血管を取り出した跡。いずれもホッチキスで切口を止めてある。痰が引っかかり自分で咳き込むが痛くて力が入らず、朝にはもう痰の吸引をしてもらう。でも10時過ぎでしたでしょうか。トイレはベットの下でするように言われ看護婦さんに支えられながらベットの下に下りる。でも出ない。リハビリのためには寝てばかりでなく下で少し座っているようにとのこと。二日目にしてリハビリだと言われたのにはびっくりした。痰が引っかかり苦しい。しばらくしてベットに上がる。声がまったく出ない。
親戚の一人が見舞いに来たが、身体についている管を見てびっくりしてすぐに帰った。
夜、今日も睡眠薬を貰う。昨日と同じく変な人形が現れては消える。こんな苦しい目にあったのは始めてであった。
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去年の今日大変なことに、その9

2005-12-17 23:18:11 | Weblog
去年の今日、集中治療室で目を覚ます。喉にタンが引っかかり吸引してもらう。咳をするととても痛みがあり苦しい。横になるとやや良い。夜は睡眠薬を飲む。幻覚症状が出る。目を開けているんだが目が回っているようで、首のない人形姿の兵隊がたくさん周りを回っている。ほんとに気持ち悪かった。翌朝こんなものを見たといったら家内は気持ち悪かったようだ。しばらくすると眠る。手術以来ずっと酸素マスクをしている。
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去年の今日大変なことに その8

2005-12-16 22:42:11 | Weblog
逗子に行っていたのでブログへの書き込みが遅れた。

去年の13日、内科病棟から7階の外科病棟に移動。発熱はすっかりなくなっている。午後3時手術をする心臓外科部長及び若手の心臓外科先生から手術についての説明があった。
 検査・治療・手術の名称  冠動脈バイパス手術
 病名 狭心症(左主幹部病変あり)。カテーテル検査の写真を見ながら「心臓を養っている血管が細くなっており、いまにも詰まりそうである。カテーテルでの治療は不向きの場所であり手術が望ましい」。
 手術 3~4本バイパスを行う。人工心肺を使用して心臓を止めて行いたい。止めないで行う方法もあるが細い血管のため、縫合がきれいに行かない。ただ、心臓を止めることによる脳梗塞や心筋梗塞が起きることがある。危険率1~2%
(自分でも今までに1例ある。脳梗塞であった)手術は朝9時から行うとのこと。(以上、手術同意書から)そして「患者の安全のために行う行動制限に関する説明・同意書」「輸血・血漿分画製剤使用についての同意書」にサインした。但し、私から「輸血はできるだけしないように努力していただきたい」とお願い。
外科部長 「人はおおよそ55%まで血液がなくなるまで生きられるから、できるだけ輸血はしないようにする」「万一のことです」との説明があったので安心した。また、「Uさんから手紙を頂いた。がんばります」との言葉を頂いた。
大変うれしかった。
その時は、自分としても不思議なぐらい落ち着いて聞いた。やはり近所の先輩が同じ先生によって手術し現在術後数ヶ月だが、元気で以前となんら変わらずに生活していることがとても安心感を与えていた。そして手紙が通じていたことに感謝した。
 その後の2日間はほかの事を考えないよう家内から持ってきてもらった「運を天に任すなんて」(城山三郎作)その他の本を読んで気分をそらした。

そして去年の今日、いよいよ手術。
朝、8時45分頃看護婦さんが向かいに来た。自分では移動式のベットに乗るものと思っていたのが、車椅子であった。今思うと車椅子で大変助かった。感傷的にならなくて。
「行って来ます」と言って部屋を出た。家内は手術室の前まで一緒であったが手術室に入るときも「行って来ます」と普段と変わらなかった。
 部屋に入ると大きなベットに移され(手術台ではなかったように思う)鼻にマスクをつけられ麻酔が始まった。しばらくして看護婦さんから「――さん聞こえますか?」との声が聞こえ、「ハイ」と返事をしたのを覚えているがそれ以降はまったくわからない。
手術は午後4時30分に終了したそうだ。実に7時間30分である。集中治療室に移った。そして自分が意識を戻したのが午後8時30分過ぎ。今でも看護婦さんのその時の発した言葉を覚えている。
「あっ、動いた」「――さん気がついたよ」との大きな声。酸素マスクや点滴をしているので直ぐに動くことができなかったが周りの安堵感の雰囲気は伝わってきた。自分で足の親指を動かしたのをよく覚えている。10時過ぎに睡眠薬を飲まされ、朝6時ごろまで寝た。
後日、先生から輸血をまったくしなかったことを聞いた。うれしかった。
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去年の今日大変なことに、その7

2005-12-12 20:40:19 | Weblog
昨年の日記が出てきて、集中治療室にいたのが3日間と思っていたのが、2日間であったことがわかり、その後について変更した。

昨年の今日、熱もすっかり下がり平熱となった。相変わらず通常の点滴は続いていた。
昨日、外科部長に会えなかったUさんが再び病院に見えた。
「今日先生に会えなかったら手紙を書いてきたのでこれを看護婦に預ける」と言っていた。看護婦に先生を探してもらったら手術に入っているとのこと。やむを得ず看護婦に預けて帰られた。明日はいよいよ7階の外科病棟に移動することになっている。息子夫婦が見舞いに来てくれた。
いよいよ明日外科病棟に移動することになっている。
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去年の今日大変なことに、その6

2005-12-11 22:11:04 | Weblog
去年の今日、朝、10時過ぎに抗生物質の点滴を再度行う。熱は36.6~37.3度になってきた。抗生物質の点滴はこれが最後のようだ。
 一方、昨日家内が手術のことを話した近所のバイパス手術(7~8ヶ月前に同じ病院で手術)の先輩がお昼過ぎに病室に来てくれた。
 「大変なことになったね」
 「心配要らないよ。自分もこのように元気になっているから・・・」
 「これから私に手術してくれた先生に会ってくれぐれもよろしくとお願いしておくから」と言って立ち去った。しかし、今日は先生に会えなかったようだ。
「また明日来るから・・・」と言って帰られた。後でわかったことだが、彼が会おうとしていたのは1年半ほど前に転勤してきた心臓外科の部長先生であった。
 最初の発作で救急車で運ばれたとき、その病院の先生から「紹介状を書くがどこか病院の希望があれば」と言われ、私から
「近所で最近同じバイパス手術を社会保険中央総合病院で行い大変経過の良い人がいるので、その病院に書いていただければ・・・」と申したところ、先生から
「あそこの病院は、最近大変良い先生が入って評判が良いですよ・・・」と言って下さったのを覚えている。
 彼が会ってお願いしようとしていたのはその人であった。
 体温が下がったのでその夜はぐっすりと休むことが出来た。

 今日午前中、逗子の海岸に最近立てられた石原慎太郎の記念碑、芦花公園の紅葉をみて回った。逗子海岸にはまた魅力ある観光物がひとつ出来た。
芦花公園の紅葉は真っ盛りであった。
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去年の今日大変なことに その5

2005-12-10 22:22:53 | Weblog
昨年の今日、熱が一向に下がらない。のどの痛みや鼻水がまったくない。普段自分が患う風邪の症状とは違ってただ発熱し体が火照っている。体温38.3度。抗生物質の点滴が続く。
 心臓バイパス手術の日が16日と決まった旨を先生から知らされた。そのときも高熱でふらふらしていた。
食事もわずかしか食べられなかったが何とか眠りにつく。
家内はその日親戚や以前この病院で同じ心臓バイパス手術をしたまるまるさんに連絡を取ったようだ。
夕方近くに高校時代の友人二人が見舞いに駆けつけてくれた。従兄弟や姪が 一昨日から来て勇気付けてくれたが、友人の見舞いは格別うれしかった。元気付けられた。それから退院するまでにある友人は5回も来てくれた。本当にありがたく思っている。

明日の管理組合集会のため、逗子の別荘マンションに向かった。雲ひとつない天気だったので、富士山の夕焼けが見られると楽しみにして午後2時20分ごろ家を出た。ところが環七は大渋滞、第三京浜に入っても事故のため大渋滞で、逗子に着いたのが4時30分ごろ。普通より50分も多くかかってしまった。太陽は西に沈んでしまったが、ベランダから見る富士山は裾野まできれいな姿を見せていた。明日朝に期待しよう。その日のうちに三脚等を用意する。
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去年の今日大変なことに、その4

2005-12-09 23:15:13 | Weblog
去年の今日、昨年の今日、熱が一向に下がらない。のどの痛みや鼻水がまったくない。普段自分が患う風邪の症状とは違ってただ発熱し体が火照っている。38.9度まで上がってしまった。担当の先生にその旨を伝えたが薬をくれない。
先生「もしかしたらカテーテル管挿入の時ばい菌が入ったのかもしれない。原因を突き止めるべく検査しているのでもうしばらく待ってもらいたい」とのこと。一日中高熱が続く。自分は場合によっては院内感染かと疑った。
 心臓バイパス手術の日が16日と決まった旨を先生から知らされた。そのときも高熱でふらふらしていた。
先生「このままだと手術ができないかもしれない。どのような菌によるものか判明しないと抗生物質を決められない」。 自分は聞く以外手立てがなかった。だんだんイライラして来ているのがわかる。入院してからの同じ点滴はずっと続けられていた。
午後、先生が来て、抗生物質の点滴が始まる。原因については話してくれなかった。夕方体温を測ったら未だ38.5度の熱があった。
食事もわずかしか食べられなかったが何とか眠りにつく。
家内はその日親戚や以前この病院で同じ心臓バイパス手術をしたまるまるさんに連絡を取ったようだ。

歯医者への通いは、奥歯にフリッジを作り前の歯(半分しかない)を造作、合わせて2箇所の治療を今日ですべて終了した。

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去年の今日大変なことに、その3

2005-12-08 22:22:43 | Weblog
去年の今日、集中治療室で目を覚ます。相変わらず点滴は続いている。
朝方から風邪気味。寒気がする。10時過ぎに車椅子に乗り集中治療室にいる先生、看護婦さんにお礼の挨拶をして6階の内科病棟に上がる。集中治療室に居た内科のまるまる先生(カテーテル検査をして下さった先生)は名の売れている俳優と同姓同名であった。看護婦さんの話では、先生は同姓同名のため苦労なさっているとか。看護婦さん達もみな明るく親切であった。私の隣の駅から通っている人でテレビを早く確保しないとなくなるといって自分から確保してきてくれたまるまるさん(自分はテレビをほとんど見なかったが・・・)や私と生まれた月日が同じで特別親しみが沸いたといっていたまるまるさん、伊豆出身で特別言葉遣いがきれいなまるまるさん等印象が強く残っている。6階の内科病棟でも看護婦さんは大変親切。近〃集中治療室へ配置転換するといっていたポチャッとしたまるまるさんは献身的であった。
顔が徐々に火照って来ているのがわかる。熱が出てきた。看護婦さんから体温計を貰い測ったら38.5度を越えていた。氷枕を貰う。夜になっても体温が下がらない。集中治療室に居た先生が内科まで継続して担当していたが、先生は時々見に来るが一向に風邪薬を出さない。原因が何か判断付くまで待ってもらいたいと申していた。その日は何とか眠りに付く。

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去年の今日大変なことに、その2

2005-12-07 21:14:03 | Weblog
去年の朝、前日の病院へ紹介状をもらいに自分で車を運転してゆく。その足で新大久保の病院へ。内科で診察を受け、心電図、血液の検査。至急検査結果まで1時間あまりを車の中で休む。11時過ぎに再び内科の先生を訪ねたところ、電話で連絡等を取っている。先生「検査の結果、狭心症で一部心筋梗塞の疑いがある。すぐに手続きをとっているので、車椅子に乗るように」「歩けますので」看護婦「病院に来たら、遠慮してはいけません。どうぞ」今まで乗ったことのない車椅子に乗り、集中治療室へ。「トイレに行かせてください」看護婦「ベットに用意するから・・・」結局管を通され点滴が始まる。家には看護婦が直接連絡し、家内が駆けつける。 あとで皆に言われたこと「自分で運転してゆくなど無謀である。事故を起こしたら、自分だけでなく他人に迷惑を掛けるので・・・」としかられた。 万一のことを考え、家内が小生の実家に連絡したらしく、あとで聞いたことだが、「心筋梗塞で集中治療室に入っている」ととられた様で、兄はおどおどしていたとのこと。皆に心配を掛けてしまった。午後2時カテーテルの検査を行うことを決定。
午後2時カテーテル検査のためベットから寝台に移され検査室に向かう。検査室の前で家内が「がんばってね」と発する声が聞こえた。「ウン」と言ったが目から涙が溢れ出る。内心気が弱くなっていたようだ。「もうだめだったら・・・」と。
 検査室に入ると看護婦さんたち数人で寝台から大型の検査用寝台に移す。腕に麻酔注射しカテーテル管の挿入が始まる。先生「造影剤をこれから入れます。身体が熱くなるが心配要らないから・・・」とのこと。入り始めたとき「あぁ~」と声を出した。身体全体がカッと熱くなった。しばらくして落ち着くと映像が目に入った。ゴクゴクと血液が流れているのが手に取るようにわかる。先生は何枚も写真を撮っているようだったがしばらくするといなくなった。遠くに看護婦さんがいるだけ。不安。しばらくして2~3人の先生の話し声が遠くで聞こえる。自分では長かったように思うが10分ほどだったのでしょうか。先生が戻って来て「血管が細くなっているところが3~4箇所ある。その内2本の冠動脈の基の部分が非常に細くなっている。ここをたとえば風船方式で処置しようとすると非常に危険が伴い、場合によっては即死する。心臓外科の先生に立ち会ってもらい検討した結果、手術が最善な方法であるとなったのでこれで終わりとする」とのこと。私はなにもわからないので「はい」としか言いようがなかった。管を抜き後処置をした後、部屋を出た。検査室の前では家内がずっと待っていたようだ。「どうだった」の声。今度は「大丈夫」と明るい声を返す。夜、尿の管を自分で出来るからと言ってはずしてもらう。気持ちよいものではない。
 明日の朝10時に内科病棟に移ることとなった。
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去年の今日大変なことに、その1

2005-12-06 20:03:44 | Weblog
あの忙しかった11月の各種会合行事も過ぎて、昨日、今日と会社の業務をすることが出来た。年末調整関係の書類を税務署にもらいに行ったりで何かと忙しかった。

 去年の今日、忘れもしません。朝7時ごろ、犬の散歩から帰って玄関で足を拭いているときのこと。急に胸が痛く苦しく、それが10分あまり続く。とうとう救急車で病院へ。ところが病院の寝台で休んでいると落ち着く。内科の先生(いままでも不整脈がみとめられるとの定期検査の診断結果がもとで先生に心臓の負荷検査等をして検診を受けていた)が心電図をとったが、それほど心配することはないとの話。先生から「当病院には心臓手術の設備がない。また心臓外科医がいないので、これを機会に大病院へ行かれたほうが良い。明日朝までに紹介状を書いて置くから取りに来るよう」との指示。そのまま薬もなく家内の付き添いで帰宅する。家で1日体を休めていた。以下明日に続く。

昨年6月に会社を息子に譲り、Slow Lifeを始めたいと思っていたのですが大変なことに。
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