「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県鹿児島市 ・ 幻の宰相 「 小松帯刀 ( こまつ たてわき ) 」

2013-04-26 04:56:25 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒










鹿児島県文化センターの前に建つ小松帯刀の像





小松帯刀 ( こまつ たてわき 1835(天保6)~1870(明治3)年 ) は、強い意志と明噺な頭脳を持ち、
藩主・島津斉彬 ( なりあきら ) の側近として、西郷隆盛や大久保利通などを登用・抜擢した。

下級武士に過ぎなかった西郷隆盛や大久保利通、
一介の浪人であった坂本龍馬が幕末に存在感を持つ活動が出来たのも、
薩摩藩家老という地位を持った小松帯刀の支援協力があったからで、
明治政府樹立に向けて小松帯刀の存在は大きかったというのが見直されている理由である。

小松帯刀は、鎖国という状況のもとにあって掟破りとも言える発想で、西洋の技術や文化を積極的に採り入れた。
藩主島津斉彬の意をうけて1861年には長崎で洋水雷、砲術の知識を学ぶとともに、
オランダ艦船に搭乗し軍艦の操縦術を習得。
 
家老就任後には,生麦事件に端を発した薩英戦争 ( 1863年 ) でイギリスと戦火を交え、
その科学技術力の高さを身をもって体験したことから講和成立後は一転して英国との親交を深め、
留学生を派遣するなどして先進技術の導入に取り組んだ。

幕末維新期に活躍した英国の辣腕外交官アーネスト・サトウは、
薩摩藩家老として西郷隆盛,大久保利通といった下級武士を登用・抜擢し、
明治維新を裏方として支援した小松帯刀について次のような人物評を残している。

「 小松は私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で、
家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず,政治的な才能があり、
態度にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた。 」


そんな小松帯刀の名をつけた焼酎は、薩摩の偉人を銘柄にしていることからも、
「 黄金千貫いも 」 を特に厳選して丁寧に原料処理を行った芋焼酎である。
麹は昔ながらの黒麹を使用し、低温発酵でもろみを造り伝統的な常圧蒸留を行っている。
口に含むと、芋らしい落ち着きのある香りと柔らかな甘味が感じられると共に、
軽快でスッキリした味わいが特長の焼酎である。



沖縄県宮古島市  「 大神島で釣った魚 」

2013-04-26 04:52:58 | 離島めぐり



連絡船の待ち時間に釣った魚









クツクツッと浮きが動く感覚がたまらない







竿を貸してくれたおじさん







大神島の人たち





大神島から帰る連絡船の待ち時間があったので、
港で釣りをしているのを傍で見ていたら、
「 よかったら釣っていいよ 」 と、竿を渡された。
「 ほんじゃあ、一丁やっか! 」 と、竿を手に気合いを入れた。
熊本に住んでいた頃はよく釣りに行っていたが、最近はご無沙汰であった。

久し振りに竿を持つとワクワクするものである。
そして3分くらいしてクツクツッと当たりが来て、
クィ~ッと浮きが沈むのに合わせて竿を立てると、
グググッっと抵抗する力がハリスを通して伝わって来た。
この瞬間がたまらん!
一気にあげることなく、楽しみながらリールを巻くと、
熱帯魚のような魚が外れ馬券のように、ヒラヒラと翻りながら上がって来た。

そばで見ていたパラパラな乗船客も 「 うぉー 」 っと声を上げ、
なぜか拍手をしてくれた。

釣れた魚を竿を貸してくれたおじさんに渡して、出航を待つ連絡船へと向った。
船から島で友達になった人たちに手を振りながら大神島を後にした。
このあと那覇に向うために宮古空港に向ったが、ハッピーエンドだった。



大分県院内の石橋 22 「 長六橋 」

2013-04-26 04:51:48 | 大分の石橋










累々と壁のように積まれた壁石






アーチ部分はコンクリートで巻かれている






旧・県道の橋として使われていた長六橋






「 長六橋 」 と彫られた親柱






橋のある場所は深い谷になっている





所在地 /  大分県宇佐市院内町小稲 ・ 高並川
架橋  /  昭和 7年10月
石工  /  松田 新之助
長さ   /   20.8m    幅   /   3.1m
拱矢  /       ?m    径間  /   9.0m
環厚  /    40㎝    
単一アーチ



長六橋は県道の旧道の橋であるが、
もともとは左岸橋畔に居宅のある佐藤長六氏が出資して架設したもので、橋名にしてある。
橋の下は深い谷になっており、ほぼ垂直に切り立った両岸から出た
繁った木々が覆い被さるようにその輪郭を遮っていた。
石工は松田新之助といわれているが、この場所での架橋は困難を極めたであろう。

長六橋へのアクセス
長六橋へは小稲橋から県道664号線 ( 円座中津線 ) を約1キロほど行った右側に架かっている。
橋の入り口に消防小屋がある。駐車は橋の袂の広い場所に駐車した。