35年間、北九州市の文化情報を発信し続けた月刊誌 「 ひろば北九州 」
( 北九州市芸術文化振興財団発行、八幡東区中央 ) が3月号で廃刊となった。
行政、経済や身近な文化・芸術の話題を提供し続けたが、
近年、会員数が減少して赤字が続き、終止符を打った。
「 ひろば北九州 」 は1978年、故谷伍平市長創設の
北九州都市協会が市制15年を記念して創刊したもので、
会員の購読料と市の補助で季刊としてスタート、隔月刊、月刊と発行回数を増やしていった。
当初、B5判だったが、01年にA4判に拡大した。
07年に同協会解散後、市芸術文化振興財団が引き継いで発行していた。
そんな 「 ひろば北九州 」 の表紙に水彩画が採用された事がある。
当時、競輪に参加していない日は、ほとんど毎日のように絵を描いていたので、
いろんな展覧会に合わせて作品を制作していた。
そんなとき画材屋さんでたまたま見た水彩画展の公募で、北九州市水彩画展に応募したら、
両方とも入選したので、その作品が 「 ひろば北九州 」 の編集者の目に止まったのだろう。
「 貴方の作品を「 ひろば北九州 」 の表紙に使わせて頂きたい 」 という旨の連絡があり、
表紙を飾ることになったわけである。
一般公募の作品から1年分の12点が選ばれたのだが、
その内の2点に採用されたことは嬉しいものであった。
このとき使用料としてお金を頂いたが、それよりも本という形で残ることの方が嬉しかった。
95年11月号には 「 門司競輪場 」 ( 海の見える競輪場 ) が、
そして96年7月号には 「 小倉競馬場 」 ( 真夏の小倉競馬場 ) が表紙を飾った。
門司競輪場の水彩画は、その年の門司競輪の記念レースでテレフォンカードとして採用され、
枚数限定でファンはもちろん、参加選手や地元選手にも記念品として配られた。
「 ひろば北九州 」 が廃刊になり、その表紙を飾った門司競輪場も廃止になった。
そして小倉競馬場のメインスタンドも改修のため取り壊され、今では見る事も出来ない。
そういった意味からも、ただの表紙画ではなく、想い出の詰まったものだと思っている。