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「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

那覇市首里崎山町 「 御茶屋御殿 」 と 「 吉屋チルー 」

2013-04-25 05:03:34 | 沖縄



首里崎山町にある 「 御茶屋御殿跡 」















比謝橋の袂にある吉屋チルーの歌碑








吉屋チルーの説明











首里城の裏側の脇道を入ったところにかつて栄華を誇った琉球王朝の御茶屋御殿があった。

御茶屋御殿 ( うちゃやうどぅん ) は沖縄県那覇市首里崎山町にかつてあった琉球王府の迎賓館で、
かつ文化の殿堂である。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも呼ばれた識名園が首里城の風水上の南(方位の西)に位置している事から
南苑 ( なんえん ) とも呼ばれたのに対し、
御茶屋御殿は首里城の風水上の東(方位の南)に位置していた事から東苑 ( とうえん ) とも呼ばれた。

建設・造園は尚貞王代の1677年 ( 康熙16年 ) ~1682年 ( 康熙21年 ) の間とされる。
1683年 ( 康煕22年 ) に琉球を訪れた冊封使一行の接待の一部が御殿で執り行われた。
正使の汪楫 ( おう しゅう ) は著書 『 使琉球雑録 』 の中でこの付近を景勝の地と讃え、
御殿を東苑 ( とうえん ) と名付けている。
第二次世界大戦で園内の建造物は全て破壊された。
現在、跡地には、カトリック教会及び付属幼稚園が建っている。
2006年12月25日、那覇市議会の12月定例会において
「御茶屋御殿の早期復元・整備を求める意見書」が議決されている。


この地に来ると、琉球歌人の吉屋チルーを思い出す。

※ 1600年代に実在した(1650年生まれが有力)と言われる女流歌人。
  「吉屋チルー」は沖縄県読谷村(恩納村山田という説もある)の生まれとされ、
  7.8才の時に家庭の事情で那覇の遊郭に女郎として売られる。
  その時に詠んだ歌が一番。


恨む 比謝橋や
情きねん人ぬ
我身渡さと思てィ
掛きてィうちぇら


恨むべし 比謝橋よ
私を渡そうと思って
情けのない人が
架けておいたのか

二番は、那覇の遊郭から故郷を偲んだ歌。


島んとゥなどとゥ
クバんソイソイとゥ
繋じある牛ぬ
鳴ちゅらとゥみば


故郷の村も静まり
クバの葉がそよそよと
繋いである牛が
鳴いていると思うと、、、



三番は、病床で詠んだ歌

鳴ちゅるむぬ聞かぬ
鳴らむぬ聞ちゅし
くぬ世からあぬ世
近くなたら


鳴っているはずの音が聞こえず
鳴ってないはずの音が聞こえる
この世からあの世が
近くなったのだろうか

病床で三番を詠んだあと、20才前後の若さで自殺したといわれる。

那覇の遊郭で自殺した吉屋チルーのお骨を郷里へ運ぶ途中、
新しい王家の別邸の命名の話が出たところ、
甕 ( 骨壷 ) の中から声が聞こえ詠まれた、といわれた歌で
 「 詠み人知らず 」 という説もある。
読谷村と嘉手納町に架かる比謝橋に吉屋チルーの歌碑がある。


四番は、骨壷の中から詠まれた歌

拝でィ拝みぶしゃ
首里天加那志
遊んィうちゃがゆる
御茶屋御殿


拝んで拝みきれぬ
首里の王様よ
遊んで遊びきれぬ
御茶屋御殿(という名がよいよ)



沖縄県宮古島市  「 大神島展望台からの眺望 」

2013-04-25 05:02:21 | 離島めぐり



大神島展望台からの眺望 ( 西平安名埼~池間島 ) 方面








島尻港と集落とノッチと呼ばれ奇岩が海岸に並ぶ








( 坂の途中から海に向かって見る光景 )
海岸からこの坂道を上って行くと展望台への階段へとつながる







坂の途中にある大神島コミニュティーセンター








島のシンボル的は 「 貯水塔 」







展望台の下にある井戸








展望台まで続く階段







展望台の頂部にある拝所







島の東側にある「 大神島多目的広場 」








港にある大神島案内板











大神島の中心部に標高74mの山の頂部に展望台が設置されている。
そこから大神島が一望できる。

大神島の集落は港がある島の南側に集中する。
集落から丘を登ると遠見台があり、宮古島、池間島を展望できる。
集落以外の島内の多くは聖域とされ、島民以外の(場合によっては島民も)立ち入りが禁じられている。
2000年5月には島の約20%にあたる6万㎡を焼失する山火事が起きている。

一周道路 - 当初は島を一周する道路が計画されていたが、
現在も島の東部から北部にかけての約1/4強が未完成である。
そのため、道路は島の東端付近と北端付近で行き止まりになっている。
工事が中断された理由として、工事の途中でブルドーザーの爪が折れたり、
機械が故障したりしたため、予定ルート変更をしたが、
それでも工事関係者や島民が原因不明の病気に次々とかかるなどの異変が続いたためと伝えられている。
道路の中断部にはお祓いの跡がみられる。
大神島と他の島を結ぶ橋はない。




長崎県南島原市  「 堂埼港西防波堤灯台 」

2013-04-25 04:59:42 | 長崎の灯台






































所在地 / 長崎県南島原市有家町堂崎 
塗色  / 白色
構造  / 塔形   
構造材質 / プラスチック造
灯質  / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
光度  / 実効光度 25カンデラ  
光達距離 / 3.5海里 
頂部までの高さ / 5.6m
平均水面から灯火までの高さ / 10.0m
現用灯器 / LD管制器Ⅰ型
電球 / D-2
設置、点灯および業務開始年月日 / H.1.1.18