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尻間御嶽の拝所
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尻間御嶽の全景
平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。
尻間御嶽は宮古島市役所に隣接する住屋遺跡の東側に所在する御嶽である。
祭神は、男神 「 ちやくむ金大世主豊見親 」 、フデの神様 ( 学問の神様 ) である。
『 薙正旧記 』 には、この御嶽について、次の様な記述がある。
昔、下里村住屋という所に 「 こいとの 」 という人がいた。
この人は年頃になっても子供がなかったので悲歎にくれていたが、
神仏に祈願したかいあって、間もなく女子一人生まれたので、名を 「 まんなふ 」 とつけて寵愛した。
ところがこの子が七歳の時に母が死んだので、 「 こいとの 」 は是非なく、継妻をむかえた。
この母が悪心の者で、何とかして 「 まんなふ 」 を亡き者にせんと計り、
或日、父が他所へ行った時を見はからい、 「 まんなふ 」 を誘い出し、尻間山のあぶに投げ入れたが、
ちょうどあぶの中にはかづらが生い繁っていたので底まで落ちず 「 まんなふ 」 は、かづらにすがって
七日七夜泣き叫んでいた。
その時、あぶの上に天神が天降りになって 「 まんなふ 」 を抱きとり、雲の上に昇天した。
その後、しばらくして、天神は 「 まんなふ 」 を伴なって再び下界に姿を現し、
下界の者共、親類不和をいたし先祖祭を怠る者は神剣を以てこれを罰せんと御戒めになり、
かき消すように上天した。
その後、人々は 「 まんなふ 」 を神つかさに立て、神事を行うようになり、
尻間山は天神跡を垂れ給う所として御嶽をたて祭るようになった。
尚この御嶽は尻間里の里御嶽としても、今尚あつく信仰されている。
又、受験の時等に各地から拝みにくるといわれる。
所在地 : 宮古島市平良 西里