「 小倉記念 」 1991.8.25
「 小倉大賞典 」 1992.2.23
「北九州記念」 1991.8.4
小倉大賞典パドック
その強い意志と行動力で英国経済を立て直し、
自由放任主義的な「サッチャリズム」を旗印に
緊縮財政政策や規制緩和などを推進したサッチャー元英国首相が脳卒中のため亡くなられた。
「 鉄の女 」 として英国を先導した彼女も病には勝てなかったのだろう。
今から20年ほど前、熊本に住んでいたときに熊本日々新聞に3年間にわたり競馬エッセイを連載していた。
そのときに 「 鉄の女 」 と題して、イクノディクタスという牝馬を取り上げたことがある。
『 鉄の女 』
13日の日曜日は朝から 「 のぞみ 」 に乗って新大阪まで出て、
大阪まで引き返して梅田から阪急電車で仁川まで行き、阪神競馬場へ向った。
阪神競馬場は新幹線や飛行機の窓から見たことはあるが、
こうしてその地に立って目の当たりにするのは初めてであった。
宇宙ステーションを思わせるような銀白色の屋根がどっしりとメインスタンドの前を覆い、
入場ゲートをくぐるだけでもワクワクして、思わず駆け出してしまいそうになる。
この阪神競馬場は平成2年の6月から1年半をかけて改築工事を行い、
昨年の11月30日に新装オープンしたものである。
近代的な競馬場の目玉は、なんといっても雨に濡れないで見る事が出来る屋根付きパドックだ。
音響の関係からオッズ掲示板の上が一部開いているのを見て、半開きになった福岡ドームを思い出した。
メインスタンドは地上6回でどの階からでもパドックが見えるようにガラス張りなっている。
1階はファーストフードプラザになっていて、和洋中のいろんな味が楽しめる。
そして各階への移動はエスカレーターと、デパート気分で馬券が買え、
しかも前売りの馬券については全てマークシートで自動で買える気軽さがある。
さて、問題のレースだが、春のグレードレースを締めくくりである宝塚記念 ( GⅠ ) には、
「 皇太子殿下御成婚奉祝第三十四回宝塚記念 」 と銘打たれていた。
11頭のメンバーの中に抜きん出た馬が両メジロのマックイーンとパーマーだった。
その2頭を指示したオッズは、枠番連勝の③-⑥が160円と圧倒的な人気を受けていた。
だが、 「 勝負は水もの 」 とはよく言ったもので、
フタを開けてみれば本命でおさまらず、波乱となった。
緊張のスタート前、気合いが入り過ぎたロンシャンボーイがゲートが開く前に
ゲートに打ち当たって飛び出してしまった。
これで水を注された恰好になり、再度の仕切り直しでケチがついた。
逃げ宣言をしていたロンシャンボーイはバテバテになり、
人気のメジロパーマーもニシノフラワーも馬ゴミであえぐのを横目に
一気に抜けたのがメジロマックイーンだった。
ドーッと沸くスタンドの目は2着争いに絞られた。
ただ一頭スタートから内ラチ沿いを駆けたオースミロッチと、
最後方から猛然と追い込んで来たイクノディクタスの叩き合いになったが、
勢いに勝るイクノの軍配があがり、前回の安田記念に続き高配当の立役者となった。
今年で7歳になる牝馬のイクノディクタスは46戦とまさしく 「 鉄の女 」 である。
思ってみれば御成婚ということもあり、牡馬と牝馬がアベックでゴールしても不思議ではなかった。
ちなみに牝馬がこのレースで連に絡んだのは、昭和47年のタイヨウコトブキ以来、
実に21年振りのことである。
安田記念に続き、またしても 「 鉄の女 」 にやられてしまった感じである。