フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

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「大いなる沈黙」 "LE GRAND SILENCE" DE PHILIP GRONING

2006-12-25 00:13:04 | 映画・イメージ

数日前、Le Figaro の文化欄を開くとドイツ人の映画監督が撮影の許可を取るまでに15年を要した映画が始まったことを知る。フランス語を完璧に話すその監督は、科学の教育を受け、天体物理学者を目指していたというPhilip Gröning。映画は “Le Grand Silence” (「大いなる沈黙」) という2時間40分におよぶ僧院 La Grande Chartreuse の日常の記録。彼は語っている。

 "Je me suis dit que j'allais faire un film qui ne raconterait pas un monastère mais serait le monastère lui-même."

 「僧院についての映画ではなく、映画が僧院そのものであるようなものを創ろうと自らに言い聞かせた。」

彼の次の言葉に反応していた。

 "Pour moi il y a une parenté évidente entre le moine et l'artiste. Ils partagent l'idée que chercher une vérité est plus important que posséder et consommer."

 「私にとって修道僧と芸術家のあいだに明らかな血のつながりを感じる。ひとつの真実を探ることが、それを所有し消費するより重要であるという考えを共有している。」

以前、「生きることは哲学すること、哲学することは真実を見つけてそれを使うことではなく、永遠に真実を見つける試みをすること」 というマルセル・コンシュの言葉に強く反応していたので、この監督の見方が手に取るようにわかる。彼はさらに続ける。

 "Beaucoup de choses dans la société occidentale viennent du monachisme, comme l'organisation du temps, entre travail et loisir, avec l'idée que l'action doit être efficace pour libérer le temps de la contemplation. On a oublié ce but pour ne garder que l'efficacité, mais cela ne fait que trios cents ans que le travail est devenu central, et on arrive à la fin de cette époque. Fonder la réussite sur le travail, l'argent, la situation, ne correspond plus à la société actuelle. La vie des moines nous rappelle d'autres valeurs. On les admire volontiers dans le bouddhisme, mais elles sont là depuis toujours, en Occident."

 「西洋社会の多くのものは修道士の規範からきている。例えば、瞑想の時間から解放するために行動は有効であるという考えのもとに、仕事と余暇の時間を割り振りすることなど。しかし、効率だけを維持するために、私たちはこのことを忘れてしまった。しかし仕事が中心になったのはわずか300年くらいのもので、今その時代の終わりを迎えている。仕事、お金、社会的地位による成功は、現代社会には対応しなくなっている。修道僧の生活は私たちに他の価値を思い出させてくれる。私たちは仏教の中にある価値に心からの賛美を贈っているが、それは西洋に昔からあるものである。」

これまで、研究か瞑想か、あるいは生きることと哲学することというような行動と沈思の対比について触れてきた。生きる意味、生きるための価値をどのように見出していくのか、という問題が頭をもたげてきている証拠だろう。そんな中での彼の言葉には強く共振するものがある。また仏教を西洋人がどのように捉えているのかという問題につながる紐の端を捕まえたようにも感じる。

そして、次のように締めくくっている。

 "Le Grand Silence est un voyage vers la meilleure part de nous-même."

 「この映画は、われわれ自身の中にある最良の場所への旅である。」

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レンヌ街のシネマに出かける。映画館がたくさんの人で埋まるとは限らないのだが、この日は年齢層は高いものの多くの人がつめかけていた。監督が言うように、この映画には語りが一切ない。時に聖書の一節が文字で示されるが、最後まで沈黙の時間を過ごす。

アルプスの懐深く隔絶された自然の中にその僧院はある。規則正しい生活をゆっくりと送っている姿が季節の移り変わりを背景に映し出される。薪を割る、鐘を鳴らす、自然を見る、食事を受け取る、パンを切る、黙々と噛む、スープを啜る、水を汲む、布で手を拭く、写経をする、祈る、・・・。年配の人が多い30人ほどの仲間とも言葉は一切交わさない。日常のすべての行為を意識し、時間をかみしめながら生きているように見える。ただ、休みには自然の中に出て、仲間と談笑したり、冬には体だけで雪の斜面を滑り降りたりして気晴らしをする。楽しむのに道具立ては何も要らないのだ、ということに改めて気付かされる。それが終わると外からは単調で味気ないものに見える日常の中に戻っていく。週末に羽根を伸ばした後、仕事に戻るというわれわれの生活と余り変わりないのかもしれない。

途中、見学者のような一団が少しだけ映し出される。その時、外の世界との大きな隔たりが一層はっきりとする。パスカルの言う divertissement に生きているわれわれの世界が際立って見える。彼らはなぜこのような生活を選んだのだろうか。彼らの一人ひとりの顔だけが大写しにされる。何も語らない。何を考えているのか想像もできない。それほど幸福そうにも見えない。最後に盲目の老僧が語っていた。神の存在を考えない人生など生きる価値がありますか・・・私の人生は幸福なものでした、と。

「生きるために生きる」 ということが人生の意味なのかもしれない、そんな思いを抱きながら僧院を出ると、そこは年の瀬で賑わう街であった。

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