2月19日(月)雨
夕べ夜中までかかって一気に読んだのが町田そのこ著「52ヘルツのクジラたち」
本屋大賞受賞作だからね、そりゃ良いに決まってる。決まってるんだよ。
でも、切なさがハンパない。
でも、普段ならここまでのやり切れなさは感じないだろう。
「これはフィクションだから。虚構の世界の創作だから」と自分を慰めて、本をパタンと閉じればリアルで呑気な日常に戻れる。
しかし、今、幼児虐待のニュースが絶え間無い。
不凍液飲ませて中毒死させる親。
冷水かけて放置して死なせる親。
産んだ子を押入れに入れてた女、自分ちのお寺に放置した女・・・
ありえないよね、でもこれは小説だからさ!と思い込もうとしているワタクシに、これでもかこれでもかと現実がノンフィクションがリアルが迫る。
この世には「普通」の家庭で育つ子供というのは奇跡なのか?
そもそも、「普通」って何?
ワタクシの思う普通の家庭は・・・
両親や兄弟姉妹と楽しくご飯食べて、たまにお出かけして、たまに兄弟喧嘩して、親はうざい時もあるけど頼るのが当たり前で、子供はいう事聞かないけど寝顔は天使で、夫婦喧嘩や親子喧嘩もするけど、それぞれみんながお互いを大事に思ってて、その中で子供達はゆっくり大きくなっていくというのが普通の家庭。
そして、改めて、「幸せ」とか「不幸」とかを自分に当てはめる事なく成長できるのが普通の家庭のような気がする。
ワタクシはそうだった。
お金持ちのお友達のおうち、リカちゃんハウスがあったり、豪華な雛人形があったり、パパが大学教授だったりの、自分ちとは違うおうちを見聞きして、羨ましく思う事はあっても、うちはうち、よそはよそ。
そして、まあまあ自分と同じようなタイプの子と友達になるから、同じような家庭環境だったということもある。
時々流れる貧困家庭の報道や、幼児虐待、家庭内での殺人事件などのニュースを見ても、そちらが特別だったのだ。
普通ではない家庭環境だったのだ、可哀想に・・・で同情して終わっていた。
この歳になって、自分が思う普通の家庭と、そうでない家庭の割合の度合いが、実は間違っていたかもと思い始めている。
「52ヘルツのクジラたち」
アマゾンの書評を引っ張ってみる。
「わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。
孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会う時、新たな魂の物語が生まれる。
貴瑚の壮絶な人生、まだ子供の「ムシ」が経験してきた数々は、60歳になるワタクシの知らない、一個も味わった事ない苦痛、孤独。
それを取り巻く優しい大人や、優しくない大人。
この、優しいと優しくないの二択になると思っていたが、無関心な大人というのもいて、口では優しい事を言うけど、口だけだったり、
そもそも見ようとしない、知ろうとしない大人もいて、これが厄介だったり、何の役にも立たなかったりするのだ。
そして、ワタクシは、この立ち位置になりがち。
まだ、読み終えたばかりの興奮状態で、何を言いたいのかさっぱりわからないでしょう。
自分でもわからない。
優しさとおせっかいとめんどくささの境界線の見極めもわからない。
今はまず、身近な人に対して優しくなろう、そして広げていきたいと思っている。
こちらでよく登場する従姉で天才ユーチューバーのKemiちゃん。
小説とかドラマとか映画とか、全く興味無いと言う。
彼女が図書館で借りた本を見て、ほお〜全くワタクシとジャンルが違うと思った。
ワタクシがフィクションなら、彼女はノンフィクションの人だ。
ライフスタイルをお手本にしたいと思って借りているのかなあと思うような、素敵な女性達の本が並んでいる。
Kemiちゃんが言った言葉で思い出されるのが、「そろそろ発信しなきゃね」
吸収するばかりでなく発信する年齢になってきたと言うことか。
読むジャンルは違えど、ワタクシはワタクシで、フィクションの世界で感じたこと吸収した事を、発信というほどではないにせよ、何か形にしたり、行動したりすべきだなと思っている。
ワタクシは、フィクションである物語の世界の登場人物達に勇気をもらって、こういう人間になりたいと思って、今までも小説を読み続けてきた。
ドラマで涙してきたし、映画館で呆然とエンドロールを見入ってきた。
これらが、ただの時間つぶしだったとは思いたくない。
夕べ夜中までかかって一気に読んだのが町田そのこ著「52ヘルツのクジラたち」
本屋大賞受賞作だからね、そりゃ良いに決まってる。決まってるんだよ。
でも、切なさがハンパない。
でも、普段ならここまでのやり切れなさは感じないだろう。
「これはフィクションだから。虚構の世界の創作だから」と自分を慰めて、本をパタンと閉じればリアルで呑気な日常に戻れる。
しかし、今、幼児虐待のニュースが絶え間無い。
不凍液飲ませて中毒死させる親。
冷水かけて放置して死なせる親。
産んだ子を押入れに入れてた女、自分ちのお寺に放置した女・・・
ありえないよね、でもこれは小説だからさ!と思い込もうとしているワタクシに、これでもかこれでもかと現実がノンフィクションがリアルが迫る。
この世には「普通」の家庭で育つ子供というのは奇跡なのか?
そもそも、「普通」って何?
ワタクシの思う普通の家庭は・・・
両親や兄弟姉妹と楽しくご飯食べて、たまにお出かけして、たまに兄弟喧嘩して、親はうざい時もあるけど頼るのが当たり前で、子供はいう事聞かないけど寝顔は天使で、夫婦喧嘩や親子喧嘩もするけど、それぞれみんながお互いを大事に思ってて、その中で子供達はゆっくり大きくなっていくというのが普通の家庭。
そして、改めて、「幸せ」とか「不幸」とかを自分に当てはめる事なく成長できるのが普通の家庭のような気がする。
ワタクシはそうだった。
お金持ちのお友達のおうち、リカちゃんハウスがあったり、豪華な雛人形があったり、パパが大学教授だったりの、自分ちとは違うおうちを見聞きして、羨ましく思う事はあっても、うちはうち、よそはよそ。
そして、まあまあ自分と同じようなタイプの子と友達になるから、同じような家庭環境だったということもある。
時々流れる貧困家庭の報道や、幼児虐待、家庭内での殺人事件などのニュースを見ても、そちらが特別だったのだ。
普通ではない家庭環境だったのだ、可哀想に・・・で同情して終わっていた。
この歳になって、自分が思う普通の家庭と、そうでない家庭の割合の度合いが、実は間違っていたかもと思い始めている。
「52ヘルツのクジラたち」
アマゾンの書評を引っ張ってみる。
「わたしは、あんたの誰にも届かない52ヘルツの声を聴くよ」
自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。
孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会う時、新たな魂の物語が生まれる。
貴瑚の壮絶な人生、まだ子供の「ムシ」が経験してきた数々は、60歳になるワタクシの知らない、一個も味わった事ない苦痛、孤独。
それを取り巻く優しい大人や、優しくない大人。
この、優しいと優しくないの二択になると思っていたが、無関心な大人というのもいて、口では優しい事を言うけど、口だけだったり、
そもそも見ようとしない、知ろうとしない大人もいて、これが厄介だったり、何の役にも立たなかったりするのだ。
そして、ワタクシは、この立ち位置になりがち。
まだ、読み終えたばかりの興奮状態で、何を言いたいのかさっぱりわからないでしょう。
自分でもわからない。
優しさとおせっかいとめんどくささの境界線の見極めもわからない。
今はまず、身近な人に対して優しくなろう、そして広げていきたいと思っている。
こちらでよく登場する従姉で天才ユーチューバーのKemiちゃん。
小説とかドラマとか映画とか、全く興味無いと言う。
彼女が図書館で借りた本を見て、ほお〜全くワタクシとジャンルが違うと思った。
ワタクシがフィクションなら、彼女はノンフィクションの人だ。
ライフスタイルをお手本にしたいと思って借りているのかなあと思うような、素敵な女性達の本が並んでいる。
Kemiちゃんが言った言葉で思い出されるのが、「そろそろ発信しなきゃね」
吸収するばかりでなく発信する年齢になってきたと言うことか。
読むジャンルは違えど、ワタクシはワタクシで、フィクションの世界で感じたこと吸収した事を、発信というほどではないにせよ、何か形にしたり、行動したりすべきだなと思っている。
ワタクシは、フィクションである物語の世界の登場人物達に勇気をもらって、こういう人間になりたいと思って、今までも小説を読み続けてきた。
ドラマで涙してきたし、映画館で呆然とエンドロールを見入ってきた。
これらが、ただの時間つぶしだったとは思いたくない。
「Kemi」ちゃんのYouTube見て見たいkoneko
です。
「永遠の仔」で、ワタクシ、一度目を見開いたのを思い出しました。
この世に幸せな人は存在しないのかと。
こんな世界の片隅のブログで発信している事を褒めてもらえるのすごく嬉しい。
KemiちゃんのYouTubeチャンネルは「kemirin」で検索してみてください。
着物のリメイクや激安衣料品の簡単リメイクが楽しいチャンネルです。
彼女のライフスタイルそのもののチャンネルを作ってと要望中。
いつも、リアル情報ありがとうございます!
まずは、ネットニュースで、【映画「52ヘルツのクジラたち」ロケ地ガイド完成】
ウンウン、知ってた!(nさんblog情報)と、知ったかぶりの私。
また、昨日のバライティで、他人事ではないハナシ「マルハラスメント」のトーク。
ハリセンボンの春菜、「マルつけちゃいけないの!?」とキレてました。
クスッと笑えました。
「はい。」
圧力なんですって⁉️
すでに、nさんのblogで知ってますとも!と笑えました。
今後とも、楽しく拝読させていただきますね。
あゝワタクシのようにキレてくれる人がここにもいたのね。
句点の意味、圧力の意味を、もう一度学び直せと罵りたい。