パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

「虚ろな十字架」からの「藁の楯」

2017年07月03日 | 本・マンガ・テレビ・映画
7月3日(月)曇り

死刑制度の是非を問われる度にワタクシはなんの躊躇もなく「あり」と宣言する。
身内を殺されたら間違いない死刑を望む。
死刑にならなかったらワタクシが殺す。
そして、そういう環境(?)で育てたせいか、はたまたワタクシのDNAか、我が娘も「死刑制度肯定派」だったと思う。
そんな娘が難しい顔をして読んだ後「ママも読んでみて!」と差し出したのが「虚ろな十字架」(東野圭吾著)

   娘を殺されたら、あなたは犯人に何を望みますか。
   別れた妻が殺された。
   もし、あのとき離婚していなければ、私はまた、遺族になるところだった──。
   東野圭吾にしか書けない圧倒的な密度と、予想もつかない展開。
   私たちはまた、答えの出ない問いに立ち尽くす。      ー内容紹介より−

娘を殺された夫婦が、まさに、ワタクシが思うようなことを思う。
「死刑にならないんだったら、さっさと刑務所を出してくれたらいい、私が殺すから」
夫婦の望み通りに死刑になり、執行もされた。
夫婦は離婚し、夫は職を変え、妻はライターになり、死刑制度廃止論に反対するための本を書く。
そのために、自分の娘の裁判で、被告の弁護人だった弁護士に取材する。
そこで、自分の娘を殺した犯人が、死刑になるまでの経過を聞く。
犯人は決して反省も懺悔もしておらず、ただ「運命」として死刑を受け入れた。
その妻の前に、自暴自棄になった女が取材対象として現れる。
自暴自棄の理由は十代で犯した罪。
その罪を償わない限り自分も救われないと説き、その罪に関わってしまった故に妻は殺される。
刑務所にこそ入らないもののずっと後悔し、懺悔し、自分の一生を償いのために使う男。
死刑は無力だという弁護士。
ワタクシの心も少し揺らぐ。

先週末、テレビで「藁の楯」を見る。
クソのような話だったが(・・・)
またも、無力感。
現実社会、このクソのような犯人(藤原竜也のクズっぷりには感心する。ついこの前まで「リバース」でいい子だったのに・・・)がいるんだよな〜
死刑で、簡単に楽になるのもいかがなものか(いやいや、死刑制度の是非はそんな論点ではない)

もう少し、死刑制度についての本や映画やらみて勉強したほうがいいのかもしれないと思いつつ、しばらくは楽しい映画や本に触れたいなあと逃げ腰なワタクシ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フォンドボー ディナーカレー | トップ | ハーフネルソン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本・マンガ・テレビ・映画」カテゴリの最新記事