パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

長生きの秘訣

2024年05月28日 | Weblog
5月27日(月)雨

今年還暦のワタクシである。
小さい頃、「死」が怖かった。
今も怖い。
流石に不老不死は願わないほどに大人にはなったが、長生きしたいとは思っている。
とは言え、高齢化社会になった今、色々な意味で長生きという事を考えさせられる。
ワタクシの理想の長生きは、自分のことは自分で出来て、会話が成立するほどには脳の衰えが緩やかな状態で生きている事。
なぜ長生きしたいか。
子供の頃は、「死」そのものが怖かった。
今は、この世に未練があるから死が怖いのだと思う。
一番は、我が娘のことが気になるのだ。
彼女が毎日楽しく暮らしているか。
彼女の興味のある事に、ワタクシも興味を持ちたい。
そして語り合いたい。
そのためには、痴呆症になりたくないと切に願う。
それから、世間で起きている事を、体験はしなくていいけど、知りたいという気持ちもある。
だから、どこそこの再開発の完成予定年度を聞いては、げっ!二十年後かぁと、自分の年齢に足してみたりする。
リニアに乗る元気はもう無さそうだなあとか。
サグラダファミリアはワタクシの生きてるうちには完成しないのであろうと思ってたら、あれ?早まったの?と驚きつつ、年月がそれなりに経過した事も感じたり。

我が母は、今年85歳になる。
毎日、老人福祉施設内のプールで歩き、月6回の病院でのマッサージを楽しみに通い、ご近所と仲良くお付き合いし頼り頼られ貰い貰われ、お茶飲み友達もたくさん。
友人達が親の介護で苦労している話を聞く年代になってきた中、まだ親に頼っているような身としてはありがたいを通り越して申し訳ない気持ちになるほど。
「nさんのお母様みたいに歳をとりたい」とよく言われる。

先日の、義母の13回忌に来てくれたおばさんは今年95歳。
去年暮れに腰の圧迫骨折をして2月に退院したと聞いていた。
お寺のお堂への10段ほどの階段をゆっくりながら自分で上がって来られた。
後で聞くに、杖なんかついた事なかったから、今練習中よと。
昔の事から今の事まで記憶もしっかりしているし、お話好きで、お酒も好き。
そのお話を聞きながら、ボケない秘訣はおしゃべり好きにあるのかなあと思ったりする。
老母との共通点を見るようだ。
おしゃべり好きでちょっとおせっかいなほどの世話焼きやさん。

長生きしたいと願うワタクシの辞書に「社交的」の文字はない。
あ、余談ですが、先日の「ザセカンド」の覇者ガクテンソクのネタの「ナポレオンの辞書がない」は、思い出すたびジワる。
失礼。戻って戻って・・・
だから、元気に長生きしているばあちゃん達がこぞって社交的でシャンとしてて明るくて・・・という統計が取れそうなほどだと、
自分は長生きできそうにないなと思ったり、いや、長生きはできても一番厄介なタイプの暴れて暴言吐いて我儘なばあちゃんになりそうだと不安を覚えたり。
いっそ殺してくれ!と暴言を吐きたくても、もう痴呆症になってしまったら、そういう事すら言えないし出来ない。
これは実際、友人が言った言葉である。
ボケたお姑さんをお世話しながら、こんな姿になるくらいならあたしだったら死んでしまいたいと思うけど、こうなったら自分で死ぬことすらできないのかと思う、と。
その頃はまだ少し若かったので、「介護、辛いんだろうな」と同情はするもののピンとはこなかった。
今なら、少しわかる。

友好的に、平和的に、周りに迷惑かけずに長生きしたいなら、もう少し社交的になって、道路の落ち葉掃除に班の活動等積極的になるべきよねえと、少し思う大雨の朝。
コメント (5)
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