パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

かなわない(天才その1)

2015年12月06日 | 本・マンガ・テレビ・映画
12月6日(日)曇り

久し振りに本を読む日々が続いている。
そして、「かなわない」とうちひしがれている。
ワタクシの積年の願いである「作家になって芥川賞をとって宮本輝氏に褒めてもらう」という夢は叶わないことをひしひし感じている。
あ、前もって言っておきましょう。この「かなわない」シリーズ(シリーズ化が好きなワタクシ)三回続きます。
その1は、今をときめく「池井戸潤氏」
その2は、ワタクシの人生のバイブル「佐藤愛子氏」
その3は、言わずと知れた「宮本輝氏」です。

では、いってみよーーー
ワタクシがドラマ「民王」にハマった話は以前いたしました。
が、また書きましょう。自分が何書いたか一週間前のことも忘れる昨今ですからね。自分のために。

  「半沢直樹」で出遅れ、慌てて見た「ルーズヴェルトゲーム」も、フツーにおもしろかったという感想。
  「花咲舞が黙っていない」も、フツー。
  ワタクシは、こういう企業ものでの熱血ものというのが性にあわないのかも。
  と、「池井戸潤氏原作ドラマ」を諦めかけたその時!!
  「民王」ですよ「民王」
  これは素晴しかった。久し振りの大ヒット。イヤ、ホームランと言おう。

と、10月24日の日記に大絶賛しております。
そして、毎週金曜深夜が待ち遠しく、最終回には「続編を是非っ!」と叫びました。
そして、(そしてが続く・・・)興奮冷めやらぬままに原作「民王」を読み始めます。
読んで数ページで「え??あれ???」
ドラマと違う。
いや、よくあることですよね、原作と映像化されたものがビミョーに違ってたり、はたまた大幅に違ってたりっていうケース。
ワタクシは『映像は原作を超えられない派』でした。
いや、たまに逆もあるか。テレビドラマがマンガや本になるケース。
そういうのは、テレビドラマのほうの勝ち。(物事に勝敗付けるクセはワタクシの悪いところ)
とにかく、ワタクシの中で「原作」への敬意というものはものすごく大きいものであるわけです。
よって、原作が好きで好きでたまらなければたまらないほど、映像への視線が厳しくなるという感じで・・・
キャスティングがねぇ~(イマイチだったわ
あのシーンは入れるべきでしょっ!(怒)
設定替え過ぎっ!!(怒)
しょうがないよね~マンガの実写映像化には無理があるよねえ~ま、健闘した方だよね(上から)
これはもう別ものと思おう(諦)
等々、大体がガッカリしたり腹立てたりという感じでした。
が、この「民王」、読んでビックリ。
よくぞこの原作からあのドラマの設定にしたよね。
「設定替え過ぎ!」と怒るべきところなのかもしれないけど、その設定にどんぴしゃなキャスティング。
そして、それに俳優さん達の演技力が相乗効果をなしてのあのドラマだったんだと、今さらながらの一人スタンディングオベーションです。
これは、まさかの、n史上初の原作<ドラマになるのか?
どんどん読みます。
こんなに楽しく読書するの久し振りです。
あっという間に読了。
この原作とドラマは、登場人物と大きな筋というか流れだけが同じで、あのドラマの一話完結のストーリーはほとんど新作というか別ものだし、登場人物のキャラクターも違う。
すげ~なと思いました。
原作者天才説はよくまくしたてますが、このドラマに至っては「ドラマ制作者」も天才!と思いましたね。
いや、原作は原作で、すごくおもしろかったのです。
銀行にお勤めだった方が企業小説書いたり、医者だった方が医療小説書いたり、はたまた恋愛に長けた女史が恋愛小説書いたりするのは納得いくというか「さすが臨場感あるよね~」とは思いつつ、ある意味当たり前的な感想。
しかし、池井戸氏は金融から裁判から医療から政治の世界まで書けるお人なのねと感動します。
よって、これは両成敗(・・・使い方、違います。これじゃどっちも負けてます)
ん~~、じゃあ引き分け?いや、引き分けっていうとなんか弱いよねえ~
ま、いいでしょ。とにかく、リングの中央で、池井戸氏の手と、ドラマ制作者の手の両方をつかんで高々と天にかかげるレフリーの気分であります。
世の中には天才が溢れているのねえ~と凡人なワタクシは嫉妬するばかり・・・
コメント
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