パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

友達について

2005年04月28日 | Weblog
4月27日(水)晴れ
今夜は昨日漬けてた鯵の南蛮漬け、ポークのしゃぶしゃぶ風サラダ、
もやしとにらを餃子の皮で巻いたもの、ごぼうとたけのこのお味噌汁。
尼崎の友人みっちゃんに、電車事故のあと、
様子伺いのメールを送ってたら、その返信あり。
「生きてるでぇ~(このあたりが関西人だ!)
今もヘリが飛び回ってます。
ホント近所でよく通る道やし度々利用する電車。
怖いという言葉では補いきれない気持ちです。
が、しかし4月8日に会社でトラブル発生。
40年生きてきて最大のピンチ。
その事で不眠症。
まだへこんでます。
また落ち着いたら聞いてね。」
彼女とは関西の短大での同級生。
笑いの基準が似てて、動物好きの人間嫌いと言う点も似てて(彼女は
否定するかもしれないが)直接の付き合いは2年だったが
その後私が故郷に帰った後も手紙やメールでのつきあいが続いている。
一回目の結婚式には出てもらったし、
私の離婚が決定的になった時は泣きながら電話をかけてくれた。
私の娘のことも気にかけてくれて
プレゼントを贈ってくれたりもする。
再婚が決まった時も自分のことのように喜んでくれて
年甲斐もなくのろける私の話を
嫌がらずに、おもしろがって聞いてくれた。
そんな彼女自身もいろいろ山あり谷ありのはずなのに
軽やかに生きていて、弱音を吐かず
笑い飛ばして、毎回おもしろいメールをくれていた。
初めての落ち込んだメールに私のほうが動揺している。
何もしてあげられない、気の利いた言葉もかけてあげられない・・・
う~ん、落ち込む。
私の離婚が決まった時、親は私と同じくらい落ち込み、泣いてくれた。
そんな時、友人達はいろいろな方法で私を前向きにしてくれたと思う。
電話して初めて泣きながら打ち明けた離婚話に驚いたしょーこさんは
その日の飛行機に乗って私に会いに来てくれた。
高校時代の友人ナカマは長い手紙をくれた。
「私も母子家庭で育ちました。
つらいことがあってもうちの母はよく鼻歌歌ってた。
母の鼻歌でずいぶん救われたよ。
お母さんが元気だと子供は大丈夫。
だからあなたも頑張って」
家族ぐるみでつきあってた前夫の友人夫婦が来てくれて
「ちゃんと食べてる?そろそろ離乳食の頃でしょ。」と
私には大きなおにぎりを、生後半年の娘にはカボチャを煮てつぶしたものを
持って来てくれたこともあったなあ。
前夫は年下だったこともあり、夫の友人もその奥さんたちも皆私より年下だったから
私は友人達のお姉さんのような気分でつきあっていた。
だから初めは「まったく、まいっちゃったわよ」なんて強がってみせてたが
その大きなおにぎりやかぼちゃを見たら
我慢できずにわんわん泣いてしまった。
前夫から離婚話を聞かされたその友人は
「たとえお前達は離婚しても、俺達は〇ゆいと彼女とは
ずっとつきあっていくからなっ!」と言ってくれたと、後から聞いた。
嬉しかった。
前夫は私に「運命の人にめぐり合ってしまった。離婚して欲しい」と言った。
私は前夫が運命の人だと思っていた。
しかししょーこさんは「神様はそんなにいぢわるじゃないよ。
彼の運命の人があなたじゃなかったんだったら
あなたの運命の人も彼じゃなかったんだよ。
仕切りなおしだよっ!」
本当だね。私の運命の人はここにいたよ。
友人達の言葉にずいぶん助けられてここまできた。
友達って大事だよって娘にもよく話す。
自分の事を心配してくれる、自分の事を気にかけてくれるというだけで
救われると思う。
みっちゃん!なんにもしてあげられないけど
でも心配してる、頑張れ~って思ってる、早く元気を取り戻してと
祈ってるからね。

コメント
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