作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 幕府方は (歴史エッセイ 75) 】

2008-07-13 18:39:00 | 05 歴史エッセイ

孝明天皇は徳川家茂を支持する立場の方だったし、
誰よりも京都守護職に任じられた松平容保を信頼して
おられた。
会津藩は、藩祖保科正之の幕閣に於ける特殊な立場まで
持ち出され、仕方なく京都守護職を引受けざるをえなくなり、
明治維新の革命期に、孝明天皇の信頼を得ながら逆賊の
汚名を着せられる悲運にあった。

孝明天皇は天保2年、松平容保が天保6年、そして徳川慶喜
が天保9年である。

会津を攻めた官軍ほど酷い軍隊は日本の歴史の中でも異例で
あると断じたい。一藩を挙げて津軽の不毛の地に移すとは、
あってはならぬ蛮行である。

会津藩がそこまでの惨状を味わうことになった原因が新撰組で
あろう。日本史に類をみない殺戮集団である。こんな徒党を
美化してドラマにする輩の性根が理解できない。
近藤勇が天保5年、土方歳三は一つ下の6年である。

池田屋の犠牲者、吉田稔麿天保12年。

徳川十三代は家定だが、脳障害者であった可能性が高い。
そこへ薩摩から嫁いだ篤姫が天保6年である。薩摩では小松帯刀、
五代友厚と同年となる。

京都見回組の佐々木只三郎、天保4年。山岡鉄舟天保7年。
小栗上野介、天保6年は陸軍奉行の役を返上し恭順の意を
現わしていたが、僅かな家臣ともども斬首の刑にあった。
あれも官軍の行き過ぎ。対して海軍奉行、榎本武楊天保7年。

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