作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 土佐の志士たち (歴史エッセイ 74) 】

2008-07-13 17:57:24 | 05 歴史エッセイ

薩長土肥と称されることが多いが、土佐の藩主、山内容堂は
最後まで徳川にも色目を使った日和見の愚物で、そもそも山内と
いう大名自体、初代の一豊がロクなヤツじゃない。
上杉征伐にかこつけて、豊臣の諸大名を筆頭大老の権威で率い、
狙いどおりに石田三成挙兵となり、小山での会議の場で、家康の
機嫌取りに掛川城を進呈すると言った、その言葉だけで土佐の
大領を得ただけの、まことにショウモナイヤツ。

幕末に土佐の名を高めたのは、いずれも土佐藩を脱藩した、
元をただせば長曽我部の遺臣の末裔であった。
新撰組などの犠牲になった者も、土佐脱藩浪士が最も多い。
倒幕後「良い目」を見た者には、岩崎弥太郎をはじめ、勤皇の
志士なんかいない。

土佐といえば、まずは坂本竜馬と中岡慎太郎だが、それぞれ
天保6年と9年生まれ。家老職の後藤象二郎が天保9年。
先に出た岩崎弥太郎は、天保5年だが、地下浪人と呼ばれた
最下層階級の出身。うまく海援隊の残したもので世に出た男。
板垣退助は天保8年。明治になって汚職の噂絶えなかった
田中光顕は天保も最後の14年生まれである。

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